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三淵藤英

みつぶちふじひで

三淵藤英とは、近畿地方の戦国武将。細川藤孝の異母兄に当たり、彼とともに最末期の室町幕府を幕臣として支えるも、後に足利義昭と織田信長の対立の中で藤孝と袂を分かつ事となる。(生年不詳-1574年)
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概要

室町時代最末期の幕臣の一人。藤英が産まれた三淵氏については不明な点も数多くあるものの、足利義満の庶子で引付頭人を務めた三淵持清を祖とし、代々奉公衆や御部屋衆などを務めてきた家柄であると伝わる。後に足利義晴の治世下で家格を上げ、父である三淵晴員の代には石山本願寺や播磨赤松氏との仲介役を務めるなどの働きを見せていた。

藤英も父と同様に義晴・義輝義昭の三代に亘って幕臣として仕え、異母弟の細川藤孝らと共に衰退の一途を辿る室町幕府を支え続けたが、その藤孝とは後に足利義昭と織田信長が対立に及んだ際、信長に味方した藤孝とは袂を分かち幕臣としての立場を通した。

弟の細川藤孝が、武将としてのみならず文化人としても高名を馳せたのとは対象的に、藤英に関しては主に前半生が不詳である事や、幕府滅亡後程なくして歴史の表舞台から姿を消したのもあり、一般的な知名度はお世辞にも高いとは言えず、藤孝の兄であるという事や悲劇的な最期が知られる程度で、2000年代に入ってからも長らく知る人ぞ知る武将という位置付けに留まっているのが実情である。

生涯

三淵晴員と、正室である養源院の間に生を受ける。前述の通り生年は不詳とされるが、異母弟の細川藤孝の生年が天文3年(1534年)である事から、少なくともそれ以前に生まれたものと考えられている。弟共々室町幕府第13代将軍・足利義輝(義藤)より偏諱を受けており、当初は藤之とも名乗っていた。
前半生について不明な点が多い事は先にも触れた通りであるが、天文年間には既に幕臣としての活動が見られていたとされ、父の晴員の出家後に弾正左衛門尉に叙任した事も確認されている。しかし永禄5年(1562年)、政所執事の伊勢貞孝が義輝や三好長慶に対し謀反に及んだ際、これに藤英も加担していた可能性が指摘されており、この後永禄の変に至るまでの数年間については記録上からも姿を消す事となる。

永禄8年(1565年)に足利義輝が三好義継三好三人衆らに暗殺される(永禄の変)と、弟の藤孝や和田惟政らと共に、当時興福寺にて三好方の監視下にあった覚慶(義輝の実弟、後の足利義昭)の救出に当たり、これを義輝亡き後の将軍候補として擁立。その後は義昭の将軍就任のため朝倉義景や織田信長などを頼り、後には信長の助力も得て義昭の上洛にまで漕ぎ着けている。
義昭の将軍就任後は父・晴員と同様に大和守に任ぜられ、奉公衆として伏見城周辺の守備を命じられた他三好氏との戦いで各地を転戦。また一方では父より引き継いだ、清原氏(晴員の後室(藤孝の生母)が同氏の出身であった)などとの人脈も活かし、彼ら公家たちとの窓口として政務の面でも義昭を支えるなど、藤孝とともに幕府の重臣として活躍した。

しかしこの兄弟の協調関係も、義昭と信長の関係が対立に転ずるに従い重大な岐路に直面する。この時弟の藤孝が織田方に付いたのに対し、藤英はあくまで幕臣として義昭に従う姿勢を示し、未遂に終わったものの当時の藤孝の居城である勝竜寺城の襲撃を企てるなど、ここに至って両者は決定的に袂を分かつ事となる。
元亀4年(1573年)に義昭が挙兵し槙島城に籠もると、藤英は同じ奉公衆の伊勢貞興らと共に二条城を任されるが、織田方に包囲された事で藤英以外は城を退去、その後も孤軍奮闘を続けるが最終的には柴田勝家の説得に応じる形で降伏を余儀なくされた。
その後は伏見城は安堵された一方、室町幕府が滅亡すると織田方として弟の藤孝と共に岩成友通の籠もる淀城攻めに参加、これを陥落させている。しかし織田方としての藤英の活動が確認されているのはわずかにこれのみであり、わずか1年足らず後に突如として信長は藤英の所領である伏見城を破却の上で、嫡男の秋豪ともども明智光秀預かりとし、程なく藤英父子は坂本城にて自害を命じられた。時に天正2年7月6日(1574年7月23日)の事である。

藤英の死後、残された息子たちのうち光行は叔父である藤孝に養育され、後の田辺城の戦いにおいてその藤孝をよく助けた功を認められた事により、戦後旗本として召し出され三淵氏を再興している。また三男の朽木昭貞や、弟に当たる長岡義重も後に細川氏に仕えている。

創作作品

信長の野望
弟だけでなく、父の晴員までも同シリーズに登場経験がある中、藤英のみ長らく未登場という状態にあった。初登場も「創造」のPKにて息子の光行の形式親としてであり、弟の藤孝ほどの数値ではないもののパラメーターも設定されているが、こちらでも使用可能という訳ではない。

NHK大河ドラマ麒麟がくる

麒麟絵 三淵様詰め


演:谷原章介
物語序盤より準レギュラーとして登場。言うまでもなく、大河ドラマにてここまで藤英の存在がクローズアップされるのは稀有な事である。
若年なのもあって情に流されがちな弟に対し、どちらかと言えば現実的な思考の持ち主として描写されている。作中では主人公の十兵衛(明智光秀)が堺に鉄砲を求めに赴いた際に初めて知り合い、その後も十兵衛が上洛した際に藤孝と切り合いになった際の仲裁や、三好長慶襲撃事件など要所要所で存在感を示した。

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室町時代 室町幕府
細川藤孝 足利義輝 足利義昭 明智光秀

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