丹波義隆
たんばよしたか
父・哲郎が名前を音読みして「ギリュウ」と呼んでいたことから「ギル」という愛称があった。
高校在学中の1973年に「制作費節約のために」と映画出演を頼まれ『二十歳の原点』で映画デビュー。同作の大森健次郎監督は後に丹波企画のプロデューサーとなった。
母親から「役者になろうとは思うな」と言われていたこともあり本格的に俳優になるつもりはなかったが、岡本喜八監督作品『青葉繁れる』のオーディションに父の職場を覗く程度の気持ちで受けたところ合格。見事主演を務めた。
1977年には『アラスカ物語』で初の親子共演。
1975年には連続テレビ小説『水色の時』でドラマ初出演。『Gメン'75』など多くのドラマに出演した。
ジャッカー電撃隊
スーパー戦隊シリーズの『ジャッカー電撃隊』でスペードエース・桜井五郎を演じていたことでも知られる。
実はもともと『秘密戦隊ゴレンジャー』のアカレンジャー・海城剛役のオファーがあったが、「俳優を始めたばかりで自信がなかった」、「オートバイの免許を持っていなかった」という理由で辞退していた。
『ジャッカー』でもオートバイの免許を持っていなかったことと「変身ポーズが恥ずかしい」という理由で辞退するつもりだったが、吉川進プロデューサーから「今度は自動車に乗ってカプセルで変身する」と断る理由をふたつとも潰されてしまったことから引き受けることになった。
当初は人前でポーズを取るなどのヒーローの演技には照れを感じていたが、実際に初めて見ると気持ちよさを感じて夢中でヒーロー役に取り組んだ。
第23話からテコ入れで登場したビッグワン・番場壮吉役の宮内洋は父・哲郎の弟子だったこともあって「師匠の息子から主役を奪うようで気が引けた」と語っていたが、義隆本人は宮内の芝居は勉強になったと語っている。
そのビッグワンと交代で降板となってしまった鯨井大助役の田中浩とは番組終了後も交流が続き、プライベートでも「隊長」と呼んでいたという。
映画『ジャッカー電撃隊VSゴレンジャー』では人員不足からスペードエースのスーツアクターも担当している。スーツの匂いや視界の狭さを体感し「大変な仕事だ」と感じたと語っている。
一方で放送終了後に出演したNHKのドラマ『事件』では一転して殺人事件の被告人役であり、ヒーローの演技から修正するのに苦労したと語っている。