概要
1961年3月21日生まれ。
小学校3年時に現在は仙台育英高校サッカー部監督を務める兄・敬の影響でサッカーを始める。周囲が強豪校である徳島商業高校を勧めるも大学進学のため徳島県立城北高校へ入学。国体へ2度出場し3年時にはFIFAワールドユースに向けた日本代表候補に選出された。
大学は早稲田大学に進学。全日本大学選手権準優勝に貢献した。
1983年、後の川崎フロンターレである富士通サッカー部に入社。ミッドフィールダーとして活躍した。28歳で引退するまで社会人チームでプレーを続けた。
引退後、暫くは社業に専念していたものの1993年、社内の方針により富士通サッカー部のコーチに就任。1995年には監督に就任する。1996年にはチームがプロ化を目指しJリーグ入りを目指すもプロ契約の監督を迎え入れるチームの方針と合わず再び社業に専念。サッカーとは決別するつもりであった。
1997年8月、東京ガスサッカー部(現FC東京)の強化担当者から勧誘を受け、富士通を退社。
1998年、FC東京の設立に参画し、日本サッカー協会S級ライセンス(プロクラブの監督になるライセンス)を取得した。FC東京に籍を置いたまま日本サッカー協会に出向、ナショナルトレセンのコーチやワールドユース選手権のスカウティング、ジュニアユース、ユース年代の監督を務めた。
2008年FC東京トップチーム監督に就任。2008年、2009年と2年連続で1桁順位を記録。2009年にはJリーグカップを制覇した。
2010年に負傷、退団した選手が増え穴を埋められないままJ2降格圏に沈むチーム状況を鑑みて9月に退任した。
2012シーズン、ヴァンフォーレ甲府の監督に就任。24試合連続無敗というJ2記録を樹立しJ2優勝、J1昇格へと導いた。
2014年、クラブ最高順位でのJ1残留を達成。続投要請があったものの固辞し退任。
2016年、FC東京の監督に再び就任するも成績不振で解任。
2018年、サンフレッチェ広島監督に就任。約4年指揮をとったものの2021年10月、突然退任が発表。実質的な解任と見られる。
2022年夏から東京ヴェルディの監督に就任。終盤6連勝&5連続完封で9位フィニッシュ。
2023年、ヴェルディを16年振りのJ1昇格へと導いた。
2024年、下馬評では「圧倒的最下位候補」と言われながらもヴェルディをシーズン4試合を残して残留を確定させる。
余談
城福は2023年PO決勝後でのインタビューで自らの指導者人生について「(競輪や競馬でいう)第4コーナーを回ったところ」と表現しており、ヴェルディでの監督業をもって指導者から引退の可能性が高い。