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概要編集



  • 1981年2月のデビュー・シングル「函館本線」がいきなりロング・ヒットを記録。同年度(1980年12月)にデビューしたアイドル歌手・近藤真彦らと音楽新人賞争いを繰り広げ、1981年末の第23回日本レコード大賞・新人賞など数々受賞した。

  • 歌手デビューから5年後の、1986年末に第37回NHK紅白歌合戦へ、念願の初出場を果たした。それ以降も2005年末の第56回NHK紅白歌合戦まで、過去11回の紅白出場の経験がある。

  • 2024年初めに肺がんであることを公表し活動を休止していたが同年12月に兄と初めてのデュエット曲である「俺たちの子守唄」を発表する(甥の竜蔵が作詞・作曲を担当)。

  • スポーツにも造詣が深く、野球では読売ジャイアンツのファン。とあるラジオ局のプロ野球中継に2回ゲスト出演している。またボクシングでもJBC(日本ボクシングコミッション)にてC級の選手ライセンスを所持している(ただしJBC主催の試合でプロボクサーとしてリングに上がった経験は一度もない)。またその関係でかつてはワタナベボクシングジムに所属しており、そこではトレーナーとして選手の指導にあたっていたことがある。実際に南海キャンディーズ山崎静代も山川から手ほどきを受けたことがある。

テレビ出演時のエピソード編集

  • クイズ!ヘキサゴンII』では、珍解答を連発していた。また、稀に問題を聞き逃すこともあり「何?」「もういっぺん問題読んで」と言う。

  • ネプリーグ』では演歌歌手チームとしてゲスト出演したが珍回答を繰り返し、同じメンバー(特に水森かおり)から総ツッコミを受けていた。

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