概要
- 同じく演歌歌手の、鳥羽一郎の実弟である(鳥羽は山川より1年半後の、翌1982年8月に「兄弟船」でデビュー)。甥にシンガーソングライターの木村竜蔵と歌手の木村徹二がいて兄弟ポップスデュオ「竜徹日記」としても活動。
- 1981年2月のデビュー・シングル「函館本線」がいきなりロング・ヒットを記録。同年度(1980年12月)にデビューしたアイドル歌手・近藤真彦らと音楽新人賞争いを繰り広げ、1981年末の第23回日本レコード大賞・新人賞など数々受賞した。
- 2024年初めに肺がんであることを公表し活動を休止していたが同年12月に兄と初めてのデュエット曲である「俺たちの子守唄」を発表する(甥の竜蔵が作詞・作曲を担当)。
- スポーツにも造詣が深く、野球では読売ジャイアンツのファン。とあるラジオ局のプロ野球中継に2回ゲスト出演している。またボクシングでもJBC(日本ボクシングコミッション)にてC級の選手ライセンスを所持している(ただしJBC主催の試合でプロボクサーとしてリングに上がった経験は一度もない)。またその関係でかつてはワタナベボクシングジムに所属しており、そこではトレーナーとして選手の指導にあたっていたことがある。実際に南海キャンディーズの山崎静代も山川から手ほどきを受けたことがある。
テレビ出演時のエピソード
- 『クイズ!ヘキサゴンII』では、珍解答を連発していた。また、稀に問題を聞き逃すこともあり「何?」「もういっぺん問題読んで」と言う。