「あなたの目の前に川が流れています。深さはどれくらいあるでしょう?1、足首まで。2、膝まで。3、腰まで。4、肩まで」
「これはね、あなたの情熱度を表しているの。足首までって答えた人はあんまり情熱のない人。膝まではあるにはあるけど理性の方が先に立つ人。腰までは一生懸命、一番バランスのとれている人」
「肩までは、情熱過多、暴走注意、だって。やっぱり、二人とも似たもの同士ね」
発表に至るまで
本作は元々第43回江戸川乱歩賞の応募作であり、選考会で大きな話題を集め大沢在昌の絶賛を受けるも落選(受賞したのは野沢尚の『破線のマリス』)。
その後福井氏は『TwelveY.O.』で第44回江戸川乱歩賞を受賞しデビューしたものの、本作が修正・改訂の上で講談社から単行本が刊行されたのは『亡国のイージス』刊行後になった。
単行本は2000年9月に刊行。文庫版は2003年8月刊行。なお単行本、文庫本ともに表紙には日本語タイトルの他に、英語で『How Deep is Your River, Mr. Guard?』というタイトルも掲げられている。
設定について
福井氏にとってはこの作品が本来の処女作となったこともあるのだろうが、作品内に『TwelveY.O.』『亡国のイージス』『Op.ローズダスト』へと繋がる舞台設定の土台を見て取ることができる。登場人物も、本作と『TwelveY.O.』と『亡国のイージス』で一部がリンクしている。なお文庫化に際して若干の加筆が行われ、『TwelveY.O.』へと繋がる部分が明確にされた。
2001年度『このミステリーがすごい!』ランキング第10位。
ストーリー
「彼女を守る。それがおれの任務だ」
ある日、元マル暴の警官で今はビルの警備員である桃山剛は、傷だらけの少年と少女をかくまう。それをきっかけに桃山の生活は一変する。浮かび上がる敵の正体、新興宗教団体による地下鉄テロ事件の真相、そして「アポクリファ」という重要データが収められたフロッピーディスクを中心に、舟木会という暴力団、非公開情報機関・治安情報局の真の狙い等が錯綜し、桃山は「底なしの川」に巻き込まれていく……
登場人物
桃山剛(ももやま つよし)
主人公。43歳。元マル暴の警官であったが、警官時代に暴力団「舟木会」の金谷を、規則を無視し温情をかけたことで警察内部から疎まれ辞職。現在は「アリランス亀戸」というビルの警備員をしている。
鬼瓦と言われる程の強面で身長180㎝・体重107㎏の大柄で、元マル暴出身だからかヤクザに間違われる程の気迫と口の悪さを持つ。
妻と娘がいたが現在は離婚しており、警備員の仕事以外はパチンコ等にあけくれるグータラ中年。
警官を辞めてから虚無的に過ごしていたが、ある日ビルに避難していた増村保と須藤葵をかくまったことで、国の暗部に関わっていく。
増村保(ますむら たもつ)
治安情報局(後のDAIS)の局員。階級は一曹。中性的な顔立ちの少年でありながら、自衛隊レンジャー部隊並みの高い戦闘能力を持つ。
須藤葵とその父親を監視・護衛することが任務であったが、途中で任務内容が変更され、その内容を拒否し任務を放棄。以後葵と彼女の父が残した「アポクリファ」というデータと共に治安情報局と舟木会から逃亡する生活を送る。
葵には護衛対象以上の感情を抱いており、彼女を守り抜くのが自分の任務とし、葵に手を出すものは誰であろうと容赦しない。
両親はおらず養護施設で育ったが、15の時に施設を飛び出し、以来暴力団の下っ端に属していた。しかしそこに潜入していた「曹長」と呼ばれる治安情報局の局員である「沼崎隆二」に適正を見出され、工作員の為の訓練を受ける。城崎涼子は同期で上官に当たる。
年頃の少年らしく映画が好きなようで、彼曰く「施設にいたころの唯一の楽しみ」が映画鑑賞だった。
「命なんて安いもんだ。とくに俺のはな」、「任務完了」などどこかで聞いたような言葉を発する。
須藤葵(すどう あおい)
黒髪の華奢な少女。優しく芯の強い性格。保とは相思相愛の中である。
本名は李英順(リ・ヨンスン)といい、在日北朝鮮人。父親の李鄭和(リ・テイワ)はバンカラな気質の持ち主で、かつコンピューターに関しては天才。在日朝総連の「学習組」という非公開組織所属の総連活動家で、「アポクリファ」という北の計画書を編纂したのも彼である。
増村保はこの親子を住み込みで護衛・監視の任務を受けていた。
任務とはいえ須藤家に住むようになって、葵やテイワの存在が保の心情に大きく影響することとなる。
城崎涼子(しろさき りょうこ)
治安情報局(後の防衛庁情報局)の局員。20代後半。増村保は部下に当たる。佐久間の秘書のような立場であり、男女の仲でもある。ラベンダーの香りが印象的な黒の長髪の美人。
早くに両親を亡くし、預けられた親戚の家で暴言を浴びせられ育った。そういった子供時代を過ごした彼女は「力が欲しい」と思うようになる。
上級国家公務員試験を合格した涼子は防衛庁の門を叩くが、そこで適性を見出され、富士の訓練キャンプで「曹長」こと「沼崎隆二」に出会い恋をする。殆ど一番の成績を収め訓練課程を修了し、彼女は「稀に見る大器」とまで言われたが、沼崎は潜入先の暴力団内で殺される。
その後「沼崎と似た匂い」を持っていると思った佐久間仁に、心の隙間を埋めるべく男女の仲になるが、佐久間の独善的な性格を知った涼子は、段々と彼に対し失望していった。
物語中盤から、桃山との仲が進んでいく。
エピローグ(文庫版)では佐久間の後任である井島一友の補佐を担当する。最終的には治安情報局を辞めることにし、時系列的には次作品の「TwelveY.O.」に登場する夏生由梨を見て、新しい世代が確実に育っている事を実感し、桃山の顔を思い浮かべながら局を去った。
佐久間仁(さくま ひとし)
後のDAISの前身である「治安情報局」の幹部。元海上自衛隊一佐。冷戦終結により縮小された局の再興及び公的機関化を目論み、神泉教団の事件を裏で操る。右手に蛇の様な古傷がある。
涼子によれば独善的で、「行為の最中、ある一点で自分の都合を優先させるときがある」「求めるだけで、何も与える事を知らない男」と評されている。
涼子とは男女の仲であったが、それも傷の舐めあい程度の関係であり、物語終盤には涼子に「一緒に見る未来のない男」として見限られ、反旗を翻される。
金谷稔(かなや みのる)
暴力団「舟木会」の組員。その昔、組長の起こした事件で、金谷が組長の代わりに捕まろうとした時、故郷に息を引き取る間際の母がいることを知った桃山は、マル暴の仁義を通し、すぐに捕まえろという上の意向を無視し金谷と彼の母をこっそり逃がした。
その後金谷は母の死を看取った後自首したが、桃山はこの事件がきっかけで警察を辞職。これらの経緯から桃山に恩義を感じており、再会してからは色々と便宜を図る。
組長がシベリア資源投資のため、海外の投資コンサル会社(実は在日CIAのフロント企業)から葵と保を捕まえる事を裏金運用の条件に提示され、組員は必死になって二人を捜索した。
しかしやっとの思いで人質にした葵を保が奪還する際、浅草の事務所を爆破されたことから投資の話はめちゃくちゃになり、金谷は在日CIAの”清算”を免れるため、美希という北の在日朝鮮人と隠遁生活を送る。
最終的には美希と共に、北朝鮮へ渡った。
美希
金谷の恋人で、在日朝鮮人。黄色いワンピースとショートカットの猫科のような眼が特徴的。最終的に金谷と共に北に渡った。
井島一友(いじま かずとも)
佐久間の後任。エピローグ(文庫版)にて密かに佐久間の陰謀を阻止する行動をとっていたことが明らかになる。文庫版のみ登場。時系列的には続編に当たる「TwelveY.O.」でも登場。詳しくは該当作品の記事を参照。
他作品との繋がり
アポトーシス
「アポクリファ」内に仕掛けられていた、リ・テイワが制作したコンピューターウィルス。名前の由来は攻撃後、自らを「消去」するさまを生物の細胞にある自殺遺伝子に例えたもの。その威力は(コンピューターの天才ともいえるリ・テイワが作成したとはいえ)個人製作のものとしては極めて高く、治安情報局のスパコン「セキュリタリアンⅢ」とそれを軸とするネットワークを無力化するほど。
このウィルスは、続編の「TwelveY.O.」にて「アポトーシスⅡ」として改良されて再登場する。
「亡国のイージス2035 ウォーシップガンナー」ではDAISによる更なる改良型「アポトーシスV」が登場する。
防衛庁情報局
本作では「治安情報局」として登場。物語開始時点で冷戦終結により解体寸前にまで規模が縮小されており、それの再興を佐久間が中心とする一派が目論んでいた。この治安情報局が、福井作品でお馴染みの「防衛庁情報局」ディフェンス・エージェンシー・インフォメーション・サービス、通称DAISへ、どのような経緯で再編されていったのかが描かれている。
神泉教
実在するプラスチック爆薬の一つ・セムテックスを使用した爆弾を用い、東京都心の地下鉄で爆破テロを引き起こした王仁天稟(わにてんりん)こと山岸和夫を教祖とする新興宗教団体。
教団の幹部は、国立大理工系学部出身者、元活動家、暴力団幹部、現役を含む警察・自衛隊OBたちが名を連ねている。特に自衛隊出身者は、爆発物作成に大きく貢献した。が、これらの事件の裏には、佐久間たち治安情報局の再興を目論む過激派が絡んでいた。
事件の類似性、幹部が高学歴者や自衛隊・警察関係者で占められていることから、「地下鉄サリン事件」等数々の凶悪犯罪を犯したカルト宗教団体オウム真理教をモデルにしていると思われる。
「Op.ローズダスト」においてもその名が登場する。