概要
有楽町の商店街の旦那衆によって震災復興と経済復興のため企画された日比谷公園での盆踊り大会のために1932年に発表された。
イントロや間奏は当時流行していた鹿児島の民謡『鹿児島おはら節』からの引用となっている。歌は芸者の藤本二三吉と民謡歌手の三島一声。
当初は『丸の内音頭』というタイトルで、その名の通り歌詞に丸の内や数寄屋橋など日比谷・有楽町界隈の地名が織り込まれた一種のご当地ソング的内容となっていた。
その後、『丸の内音頭』の人気を見たレコード発売元のビクターが「いっそ全国的に流行らせてしまおう」と歌詞を隅田川や武蔵野といった東京一円の地名を加えたものに改変、現在の題名に改題の上1933年に再度発表。
『丸の内音頭』を歌った藤本二三吉がコロムビアに移籍したため、女声パートは小唄勝太郎に交代している。ちなみにコロムビアもこれに対抗して「東京祭」という曲を企画、二三吉がこれを歌ったが結果は惨敗だった。同年に二三吉は「大阪音頭」でヒットを叩きだした。
戦後はGHQによる思想取り締まりの一環として当時の国家神道を反映した部分の歌詞が削除され、主権回復後も民主主義体制に合わないため事実上の削除状態になっており、現在では全10番すべてが歌われる事は少なく一部のみ抜粋したもの(特に1番→3番→9番→6番→10番の順で歌われるもの)が主流となっている。
こうしたGHQの検閲は戦前のヒット曲の多くで行われたが、これに反発しあえて原詩のまま歌い続けられる曲もあった。
野球・サッカーの応援歌として
夏の盆踊りの定番曲であるとともに、東京ヤクルトスワローズ(プロ野球セ・リーグ)・FC東京(Jリーグ)の応援時の定番曲にもなっている。
野球の応援時にはなぜかビニール傘がお供をしている。
例えよく晴れた夜だろうとお構いなく数千からのビニール傘が踊る光景は得も言われぬ迫力すら感じさせよう。
この応援は1954年巨人対国鉄(当時)の試合で、巨人側の応援が盛り上がっているのに対し空席が目立ち盛り上がりに欠ける国鉄側を応援するために岡田正泰が始めたことが由来とされている。奇しくも検閲で削除された歌詞に「燕」というフレーズがあった。
東京スタジアム時代の東京オリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)も応援に使用していたことがあり、2007年にヤクルトとの交流戦でこれにまつわるキャッチフレーズが掲げられたことがあった。
ちなみに野球・サッカーともイントロで「くたばれ読売」コールが響き渡るのもお約束であったが、野球のほうはクレームが出たせいもあり、現在では「東京ヤクルト」のコールに変更されている。
野球の場合は読売ジャイアンツ(巨人)、サッカーの場合は東京ヴェルディ(前身は読売サッカークラブ)のこと。巨人戦以外では相手スタンドまで唱和することもあるとかなんとか。
さすがに最近は応援団では自粛気味らしい。
…「よみうり」を「な○○ね」に変えたら巨人ファンすら熱唱するぞとか言っちゃダメ。たぶん。
なお東京音頭を作詞した西条八十は巨人の初代球団歌「野球の王者」の作詞者でもあり(一部の資料では誤ってこの歌を作詞した佐藤惣之助が作詞者だと記述されている)、現行の3代目球団歌「闘魂こめて」でも公募審査や補作に関わっている。
関連タグ
東京オリンピック(2020年):閉会式で歌われた。