概要
自力航行能力を持たない船台に砲を載せたもので、その定義は曖昧だが極端な話、火砲を装備したすべての軍艦は水に浮かんでるので浮き砲台だとも言えるが、強力な火砲を備え、自力航行能力を持たないあるいは沿岸での運用を想定した航行能力が限定的な艦艇が浮き砲台と呼ばれることが多い。またはしけやモーターボートに火砲を載せたものなど、軍艦と呼べないような何かが取り合えず浮き砲台に分類されているような例もある。
即席浮き砲台
典型例の一つとしては、はしけ(港内貨物輸送用の台船)や小型の上陸用舟艇に中小口径の対空砲を設置したものがある。これは極めて安価に製造できることから第二次世界大戦中に港湾や河川の防空に使用された。自力航行ができないとはいえ、タグボートで位置を変えることができるため、陸上に固定された対空陣地と比べて居場所を秘匿しやすく有利であった。特に第二次世界大戦中のソ連ではこのタイプの浮き砲台が濫造されていた。
装甲艦のサブタイプ
19世紀後半には装甲艦が世界各国の海軍で多く建造されたが、その中でも沿岸での対地支援砲撃や港湾への海上侵攻および防衛を目的に大口径砲または大量の小口径砲を積み込んだ大型低速なタイプの艦船が一つの潮流として発展した。これらは自力航行能力を有しているものの、その目的から浮き砲台と称されることがある。フランスのデバステーション級装甲艦などが代表的で、ロシアのノヴゴロド級砲艦もこの部類と言える。
廃品利用
通常の軍艦が損傷により航行不能となった後に浮き砲台として利用したり、旧式の軍艦を浮き砲台に転用することもある。
ドイツでは鹵獲したノルウェーの海防戦艦を改装して対空砲台として各地の港に配備していた。
ソ連では新兵向けの海上研修施設が対空砲台に改造されたりもしている。
損傷後浮き砲台になった例
- 戦艦マラート:ソ連の戦艦で、クロンシュタット港で空襲により大破着底した後は、数ヶ月の修理で浮き砲台として戦列に復帰した。
- 戦艦長門:1945年2月20日に横須賀での沿岸防御の任を受け、6月1日に特殊警備艦に艦種変更、副砲・対空兵装は陸上げしマストや煙突も撤去され、空襲擬装用に緑系の迷彩塗装が塗られた。7月18日の横須賀空襲で米艦載機の爆撃を受け、3発の爆弾が命中して艦橋に爆弾が直撃するも修復されることなくそのまま終戦を迎え、戦後はクロスロード作戦でビキニ環礁に沈むこととなった。
- 戦艦榛名:1945年2月に呉鎮守府の警備艦となり、4月に予備艦籍に入り対空火器・副砲・対空指揮装置などを陸上防衛に転用のため撤去され、6月22日に防空砲台となるべく呉の対岸・江田島小用沖に転錨された。7月24日・28日の呉軍港空襲で命中弾を受け大破着底し、そのまま終戦を迎えた。
- 重巡洋艦青葉:1944年10月23日ルソン島西方で米潜水艦の雷撃を受け三度大破し、途中応急修理を施しながら12月12日に呉に帰投したが、損傷が深刻なため本格的な修理はされず工廠岸壁に繫留され、1945年2月28日に第一予備艦となる。3月19日の米軍による最初の呉軍港空襲で防空砲台として奮戦し、4月20日に第四予備艦に、6月20日に特殊警備艦となる。7月24日の空襲で命中弾1至近弾1、7月28日の空襲ではさらに命中弾4を受けて艦尾はほぼ切断、艦内は海水で満水となったこと着底し、そのまま終戦を迎えた。