概要
江戸時代初期に、公衆浴場で入浴の世話をした接客婦であり、禁止されていた隠れ売春の一つである。
鎌倉時代に有馬温泉で発祥し、やがてそれが室町時代に町湯に移入されたという。
はじめは入浴のときに、客の垢かき、髪洗い、着衣の整理をしたり、風呂上りに茶菓や酒などを供するための女性だったが、次第に娼婦を兼ねるようになっていった。
夜になり湯屋が店じまいすると、盛装して三味線をひき小歌などを歌って客を集め、売春を行った。
当時の風呂は薪を焚いて沸かしていたため大変な燃料費がかかり、火事の危険も大きかったため株制にして風呂の数が制限されていた。
そのため町民はほぼ全員が銭湯に通っており、江戸初期は特に男性人口が多く、何より遊郭よりも値段が断然安く断られることもほぼ無かったため、一時期大流行した。
江戸時代以降、私娼が禁じられ遊郭の運営に公的な規律が設けられるようになった要因が、こうした湯女をはじめとした隠れ売春の横行であり、幕府は後に公衆浴場に湯女を置くことを制限あるいは禁止するを法令を発令し、江戸では明暦3年(1657年)以降は公娼である吉原遊郭のみに限定された。
禁止後は、三助と呼ばれる男性が垢すりや髪すきのサービスを行うようになり、現代に至る。
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大江湯女(キャラクター)