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小野不由美の小説『十二国記』の登場人物。


概要


戴国瑞州師右将軍として泰王驍宗に仕えている(『黄昏の岸_暁の天』時点)。

先王驕王の下では、禁軍左将軍だった驍宗の師帥を務めていた。

驍宗が登極して半年の後、驍宗に対する大逆が起こり現在行方が分からない。


人物


李斎曰く、“用兵家としては傑物”“王師の訓練で手を合わせるのが一番苦手な相手だった。”“臥信は奇計奇術の将だ。行動を読みにくく、油断がならない。それは英章も同様だったが、英章の陰に対し、臥信の詐術には奇妙な明朗さがあった。”


また、主君である驍宗にも遠慮がなく、気が尖っていた驍宗に「そばに寄るのは怖くて嫌だ」「腹を空かせた虎のそばにいるような気分がする」と言い放ったらしい。


友尚“臥信や基寮のように気のいい奴もいて、何度かその場の流れでやむを得ず一緒に飲んだが、すこぶる愉快だったな。連中と一騒ぎすれば面白かろう、とは思ったが”


作中での行動


土匪の反乱を治めに文州に発った驍宗には同行せず、白圭宮に留まっていた。驍宗出立後、驍宗に対する大逆の噂が出た白圭宮で、王宮に残っている王師将軍の李斎・巌趙阿選と話し合いの場を持った。


泰麒による鳴蝕の後は、泰麒の安否を確認するため数人と共に仁重殿へ向かっており途中で李斎と会った。

共に仁重殿に向かい、傾いた建物から這い出してきた潭翠と背負われた正頼と会い、更に手勢を連れて駆け付けてきた阿選と会った。驍宗失踪の報の後は驍宗を捜索し文州を治めるため、文州へと派遣された。


その後、『黄昏の岸_暁の天』で李斎は「当時文州にいた英章と臥信はそのまま姿を消した」としている。


以下、最新刊『白銀の墟_玄の月』のネタバレを含みます。











文州に派遣された後、軍の半数を率いて一旦鴻基へ戻るよう命が下され、文州に三師を残したまま鴻基へと帰還。(その残された三師の中に居たのが証博及び静之だった)その後、行方不明となっていた。霜元らは、その一旦帰還した際に正頼と接触し国帑を託され、それを持って地下に潜ったのではないかとの見立てを立てていた。


失踪後は藍州にて朱旌の元締めと言える人物に匿われ、やがて出身地である藍州に戻ってきた花影と再会する。

文州で阿選が派遣した王師と、土匪及びそれを支援する李斎らとの戦闘が起きた際は、何が起こっているのか状況を把握しかねていたが、白圭宮を出奔した項梁英章の許へと辿り着くと、臥信にも使いが出され、文州に居るのが李斎らだということを把握する。

李斎らと合流しようと英章と共に手勢を動かしている最中、馬州山中で偶然浩歌と出合い、驍宗が救われ、そして奪われたことを聞き、文州に向かうには時間がかかりすぎると方針を転換。花影の人脈の助けを得ながら兵力の全てを江州へ向け、江州城を陥落させる。

その際、満身創痍で騎獣にしがみつく若者(去思)を発見し、持っていた寒玉(驍宗の剣)と、それに結び付けられた泰麒の御名と慶王の裏書がなされている旌券に気付き保護。事情を聞き、部下を雁国へと向かわせ、延王に助力を確約してもらう。(この時点で延王並びに延麒が戴国へと出立したため、のちに江州に入った驍宗と迅速に再会し、諸国の支援を乞うことができた)

驍宗が鴻基にて弾劾の場へ出された時は、英章と共に軍勢を率いて駆けつけ、その際、江州城とそれに連なる街道を制圧しており、それを退路とし、驍宗、及びその麾下らは江州漕溝城へと撤退することができた。


驍宗と再会を果たした際、あの英章が泣き崩れたという噂を流布したが、李斎はなんだか微笑ましいと思いつつも、噂の出所が臥信ということで真偽のほどは相当怪しいと考えていた。


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十二国記 戴国 驍宗 泰麒 李斎

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