概要
小学時代はJリーグの京都パープルサンガジュニアユースに在籍しており、チームの同期には後にプロ入りする駒井善成がいた。2004年、中学1年時に家族で京都競馬場へ行き観戦した「イングランディーレの一人旅」で知られる第129回天皇賞をきっかけに騎手を志す。
2008年4月に千葉県白井市の競馬学校の騎手課程(27期)に入学。嶋田純次や横山和生らと入学したものの、留年のため、第28期生としての騎手デビューとなった。同期には中井裕二などがいる。
2012年3月に栗東の岡田稲男厩舎所属となり、同3日にリニューアルオープンした中京競馬場でデビュー。デビュー月には初勝利は挙げられなかったが、4月14日の阪神1Rをトーブプリンセスで制して初勝利。順調に勝ち星を挙げ、2012年は422回騎乗し、1着23回、2着25回の好成績を残した。同期の中井も23勝をあげ同率であったが、騎乗停止処分がなかったことが評価され、中央競馬関西放送記者クラブ賞を受賞した。
デビュー2年目の2013年もリーディング上位の好成績を修め、ファルコンステークスでカシノランナウェイで重賞初騎乗(14着)。同年の5月にはNHKマイルカップでディアセルヴィスでGⅠ初騎乗(10着)。そして8月にはニュージーランドのテラパ競馬場で行われたアジアヤングガンズチャレンジに参戦、海外初騎乗となった(結果は総合9位)。
デビュー3年目となった2014年、4月10日に笠松競馬場で行われた臥龍桜特別をデスティニーシチーで勝利し、地方交流競走初勝利。4月27日には福島9Rをピグマリオンで制してJRA通算100勝を挙げた。同日終了した第1回福島競馬開催で8勝を挙げ、福島リーディングとなった。
2024年、4月28日に京都競馬場で行われた天皇賞(春)をテーオーロイヤルに騎乗して勝利し、デビュー13年目にしてGⅠ初制覇を飾った。
余談
騎手を志したきっかけ
菱田騎手は競馬とは接点が全くない一般家庭の生まれで、少年時代はプロサッカー選手に憧れるサッカー少年であった。
京都パープルサンガのジュニアユースに入る程にサッカーにのめり込んでいたが、低身長というハンデを覆すことはできず、夢をあきらめてしまっていた。
そんな裕二少年が何故騎手を志すことになったのかと言うと、そのきっかけは中学生のときにとあるGⅠレースを現地で見たことからだった。
そのレースは2004年の5月2日の天皇賞(春)。
そう、横山典弘が駆るイングランディーレが一人旅の逃げ切り勝利を遂げたあのレースである。
そのレースを観客席で見ていた雄二少年は、馬が駆け抜けてゆく姿に感動し、そこから騎手を志すようになったという。
裕二少年はその事を父親に相談し、競馬学校に入学したいと言うのだが、父親は猛反対。
「そんなことを言うなら勘当する」とまで言われてしまったが、裕二少年は泣きじゃくりながらも懸命に父親を説得し、ついに折れた父親は「ならやってみろ」とその背中を押した。
そして裕二少年は競馬学校27期生として入学。
同期には横山和生や森一馬が居たのだが、卒業予定年度に実力が足りず1年留年してしまった。しかし翌年に28期生と共に無事に卒業。騎手としての一歩目を歩み始めた。