概要
漫画家石川賢氏の作品全般における用語である。
当初の由来
元々は氏の作品である「虚無戦記シリーズ」から生まれた言葉で、一見繋がりの無い短編作品と思いきや、「実は虚無戦記の一つの物語であった」。という流れになっており、虚無戦記の世界に取り込まれる→虚無るという言葉が生まれたのであった。
現在の認識
現在では虚無る=打ち切りという認識が一般的である。
虚無戦記のラスボスである謎の生命体「ラ=グース」だが、あまりにチート過ぎる強さ故に作者自身倒す方法を思いつかなかったらしく、俺たちの戦いはこれからだ的に、ラ=グースに挑む所で終わっている。
他作品でもゲッターロボサーガの様に、掲載雑誌が廃刊になってしまい止む無く打ち切りとなってしまった作品も多く、こういった作品を指して虚無ると呼称するファンも多い。また、魔獣戦線シリーズに至っては「時天空」という宇宙より遥かに巨大な敵が出現。ラ=グースやゲッターエンペラーはこれに挑むため生み出されたのではないかと示唆され、物語のスケールが更に壮大になったところで打ち切りとなった。
そして2006年、石川賢先生ご自身がゲッター線と共に虚無の世界へと旅立って逝かれた…
今頃はきっと永劫に続く戦いの中で、先生御自らラ=グースや時天空と戦い続けているであろう。
イシカワイズム
とはいえ、風呂敷をたためず打ち切りと言ってしまえばそれまでだが、石川氏の打ち切りは「畳めないならいっそ全開にしてしまえ!」と言わんばかりの終わり方も少なくなく、これはこれでと思わせる説得力がある。中にはきっちり風呂敷をたたんだのに、最終回や追加部分で風呂敷を一気に広げる場合もある。
加えて後述の
- 「そうか、そうだったのか……」と何か世界の真理(知らないほうが幸せな部類)を理解してしまう。
- 決意を固め、終わりなき永遠の戦場に飛び込んでいく。
のパターンでは「当面の問題を解決して物語はおわるが、戦いは続いていくED」と取れなくもない綺麗な終わり方を迎えている場合もある。ただ、続いていく戦いの規模が他作品に比べてあまりにもインフレしているだけなのだ。氏のゲッターサーガを原作とした世界最後の日などはその最たる例と言える。
こうなったら、虚無る(打ち切りへの流れ)
- 敵が強すぎてラスボスに挑む所で終了。
- 「そうか、そうだったのか……」と何か世界の真理(知らないほうが幸せな部類)を理解してしまう。
- 目がグルグルになる。
- 「でたなゲッタードラゴン」の様な台詞でラストが大ゴマ。
- 「意気込んで虚無の世界に飛び込んでゆきましたが、虚無の世界はやはり虚無でした。」(虚無戦記の作者コメント)
他パターンとしては「織田信長が敵として出てくる」、「宇宙を支配する」、「突然、登場人物が妙なことを言い出す」、「仏様が話に絡んでくる」・・・・等。
主な作品
・・・・等々。
関連項目
関連イラスト
とは言え、続編や続きが見たいと思う読者や視聴者も少なからず存在するのが事実である。悲しいけどこれ(打ち切り)、現実なのよね・・・・。