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概要編集

字は「伯苗」。後漢初期の名臣である鄧禹の末裔。

劉璋が統治する時代(194年から214年)に益州(現在の四川省東部)に入った。

劉備が益州を平定すると彼に仕え、その能力を高く評価されて各地の太守を歴任した。

劉備の死後、険悪化していたの関係を修復するため、諸葛亮の命令で孫権の元に赴き、巧みな弁舌で蜀と呉の同盟を再構築した。

孫権は鄧芝のことを高く評価し、諸葛亮に手紙を送り賞賛した。

孫権から個人的に手紙や贈り物を受け取ることもあった。

諸葛亮の第一次北伐では趙雲の副将として箕谷道を守備したが、主軍が街亭の戦いで敗れたために撤退する。

官位は督江州・車騎将軍・兗州刺史に至った。251年に死没。生年は不明だが少なくとも70は超えていたらしい。


蜀漢が滅亡する際には彼の息子である鄧良が、成都に迫った鄧艾への降伏の使者を務めた。


三国志大戦編集

三国志大戦では一貫して男の娘ショタキャラとして登場。

ただし女性武将がほぼ必ず所持する「魅力」特技を持っているため、女の子疑惑が絶えない。

三国志大戦2から参戦し、そのエピソードから複数勢力を使用した際の制約を緩和する計略を持っていた。

三国志大戦3では、特に呉との関係構築のエピソードを強調して、蜀と呉の味方を同時に強化する計略を持っている。


ただいまー


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三国志  三国志大戦 男の娘

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