人物
小学3年生の時に親の都合でアメリカで暮らしていた帰国子女であり、東京写真専門学校(現:専門学校東京ビジュアルアーツ)卒業後、東映の平山亨プロデューサーの紹介をきっかけに 『特捜エクシードラフト』からサード助監督として参加。以来、東映作品で助監督・監督補として務め、1996年『ビーファイターカブト』によりセカンド助監督、1998年『テツワン探偵ロボタック』にてチーフ助監督に昇格。
2000年の『仮面ライダークウガ』で、師と仰ぐ石田秀範の紹介でチーフ助監督となるが、かなりのハードスケジュールだったため第1、2話撮影中に石田が倒れ、第2話のラストなど撮りきっていない箇所をチーフ助監督の彼が代行演出したという。
『クウガ』で監督としてデビュー後、助監督兼任監督として仮面ライダーシリーズに参加した。2003年、『劇場版仮面ライダー555 パラダイス・ロスト』で監督補を務めた後、『仮面ライダー555』の第30話より監督専任となる。
実写版『美少女戦士セーラームーン』への参加を持ち掛けられ時は仮面ライダーが好きであったことや女子の嗜好がわからないことなどから一旦は断ったが、新人監督であったため断りきれずに参加することとなった。参加にあたっては自身の知らない路線を勉強するという考えで挑み、実際にやってみてからは新鮮で楽しかったと述べている。
翌年の『特捜戦隊デカレンジャー』でスーパー戦隊シリーズにも参加した。
2009年には自らプロデュースする演劇集団「BELL+UP Company」を立ち上げ、2010年2月に池袋シアターグリーンで上演の「リセット3・2・1…」で初の舞台演出を手掛けた。さらに、KADOKAWA・高寺重徳プロデューサーが手掛ける『大魔神カノン』に監督として参加。現在は、映像の世界だけでなく、イベントの司会や、テレビアニメ『戦隊レッド異世界で冒険者になる』の変身モーションディレクターを務めるなど幅広い分野で活躍。