概要
2010年4月から10月上旬にかけてテレビ東京系列局(ただしテレビ北海道除く)で放送された特撮テレビドラマ。全26話。
大映製作の往年の特撮時代劇『大魔神』のリメイクだが内容はほとんど別物となっている。
『仮面ライダー響鬼』を途中降板し、KADOKAWAに移籍した高寺重徳が久々にプロデューサーとして手懸けた作品でもあり、『クウガ』『響鬼』の文芸担当で『響鬼』前半の脚本家でもあった大石真司がメイン脚本家を務めた。
なお、当初は湯浅憲明、佐々木守、歴代の『仮面ライダー』シリーズのスタッフなどの起用が予定されていた。
あらすじ
古くから伝えられていた、大切にされてきたものに命が宿った付喪神「オンバケ」
オンバケは長きにわたり、人間の邪な心の塊である妖怪「イパタダ」とひそかに戦い続けていた。
田舎から上京してきた少女・巫崎カノンは、都会の環境に馴染めず、仲間からの裏切りにより自分を見失っていたが、ひょんなことからオンバケの存在を知り、彼らとの交流で心を開いていく。
やがてカノンの体には、故郷の伝説に登場する、かつてイパタダを封印した「大魔神」が封印されていることが発覚。大魔神を目覚めさせるための鍵は、カノンの歌だったことわかり……
評価
当初こそは久しぶりの高寺P作品ということで、特に『響鬼』前半の作風を好むファンから期待されていたが、いざ放送されてみると多くのファンの期待を裏切る結果となった。
その評価たるや、ニコニコ動画での無料配信の再生回数が1話以降右肩下がりになり最終的には1000にすら届かなくなるレベルである。(放送からかなり経過した現在では無料配信が続いている1、2話のみ、それなりの数字になっている)
また、『響鬼』のファンでもある漫画家の吉田戦車も、Twitterにて当初は期待を寄せるコメントをしていたが、いざ放送されると苦言を呈するコメントをしていた。
主な問題点には二つがあげられる。
全体的にスローで退屈な展開
『大魔神』としてはともかく主人公・カノンの成長物語としてみれば楽しめるという声もあるが、物語の進行がゆっくり過ぎて間延びして退屈なうえ、映像面での迫力や盛り上がりにも欠けている。そもそもの話として物語の大半はオンバケとイパタダの等身大の戦いに終始しており、肝心の大魔神は存在自体は早期から出るものの最終回まで動き出さないというややタイトル詐欺じみた内容になっている。一応、原典である『大魔神』も物語終盤で大魔神が動き出すという構成ではあるが、尺の配分が異なるTVドラマシリーズでも同じにしてしまうのは失敗だろう(仮にこの作品の話数を映画と同じ様に配分したら大魔神は少なくとも6話ぐらいは動く必要がある)。
- 一応、第9話からは展開が大きく動き出し、キャラクターも良く表現されるようになるが、そこまでがだるく「最初からやれよ」と言わんばかりに多くの視聴者を逃してしまった。
- また物語もカノンをはじめとした人間たちのパートとオンバケたちのパートの二つに分かれているが、その二つが致命的にかみ合っていない。キーマンであるはずのカノンもオンバケとイパタダの戦いにはほぼノータッチで、両パートが平行線のまま話が進んでしまう。後半に入るとカノンのパートが大部分になり、特撮部分が(大魔神が本格登場するとはいえ)大幅に減ってしまう。この日常パートと戦闘パートが平行線な部分は『クウガ』『響鬼』にも見られてはいるが、こちらは「敵怪人の暗躍により(主人公たち周辺の)平和な日常が侵食されていく」「ヒーローの姿を見て影響を受ける人間たち」といった要素も色濃く描かれている。しかし『カノン』はその部分すらも希薄になってしまっている。
- レギュラーやゲスト、悪役の扱いもややおざなり気味であり、唐突に退場してしまう事が多い。
- この為、『スタッフは何が描きたいんだ』と苦言を呈する特撮ファンもいた。
- 一言で説明するなら『二兎を追う者は一兎をも得ず』。それぐらいにまでカノンとオンバケ達の話は分かれていたのである。
特撮としてのエンターテインメント性の欠如
「特撮」とは着ぐるみやミニチュアセット、映像合成やCGなどの特殊効果を使い、現実には撮影困難な映像を作り出す撮影技法の一つというのが通常の定義である。上述の映像面での迫力や盛り上がりにも欠けるという部分は『響鬼』前半にも見られたが、それでも響鬼は「着ぐるみやCGを使ったライダーと怪人の戦闘」「武器や変身ベルトなどの連動アイテムの販促」などの要素が製作上必要だったため、結果としてプロデューサー降板による展開の急な変わりようなどから賛否両論となりながらも(仮面ライダーというドル箱タイトルを掲げているという点を無視しても)それなりに評価された。
しかし今作の場合、バンダイではなくKADOKAWAが出資し深夜番組ということもあって玩具販促ノルマはなく、また制作予算も10億円と非常に潤沢にあったのだがこれが災いし、細部まで妥協せずに作り込むという高寺Pの悪癖が出て、労力・予算・時間を好きなように注ぎ込んで自分の趣味を追求したものの、前述の通り少なすぎる大魔神の出番も含めてその特撮部分が全体的に希薄気味な事から「特撮番組である必要が無い」とまで評されるほどになってしまった。
総評
今作は角川ガメラのように特撮文化を後世に残すといった文化的側面が強いのかもしれないが、いざ蓋を開けてみれば悪い意味で『響鬼』前半の再来(しかも問題点が悪化している)であり、「あまりに独り善がり過ぎる」「これでは『響鬼』プロデューサー交代も無理がない」という評価も多く、プロデューサー交代の正しさを証明する皮肉な結果になってしまった。
それと同時にある種の『聖域』へと化していた『クウガ』への幻想も抑えられる事となった。
中には高寺Pが過去に担当した激走戦隊カーレンジャーに対して『海外の特撮ファンがボーゾックの荒くれ者のデザインに苦言を呈した理由が分かった』と言う特撮ファンもいたとか(それに追随して彼らを愛されキャラにした浦沢義雄氏の評価が上がった)。
さらには約10億円という巨額の制作費の影響で、2010年4~9月期の角川製作アニメ作品が激減してしまった。また角川も今作と角川ガメラ、2013年の『キカイダーREBOOT』の商業的失敗を受け特撮からは完全撤退することとなった。
今作の評価が祟ったのか、これ以後高寺Pは特撮には関与していない。
関連イラスト
関連項目
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