概要
1923年9月1日に発生した関東大震災による治安の混乱で流された「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマを鵜呑みにした一部の日本人が自警団を結成して無実の朝鮮人を次々と襲撃・虐殺した事件であり、デマの恐ろしさを端的に表した出来事の1つと言える。
SNSが普及した近年では日本で震災が起きるたびに「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が火事場泥棒をした」などという旨のデマをX(旧Twitter)で流すようになり、関東大震災から100年以上経った令和時代に発生した能登半島地震でも同様の投稿があった。参照ポスト
東日本大震災の時でさえ、襲撃や虐殺はさすがに無いものの、福島県からの他県への避難民への差別、誹謗中傷をする福島県民狩りもデマの流布により不安を過剰に煽られて行われた。
コロナ禍についても同様の事が起きている。
背景
このような事件が発生した背景には、震災の4年前に日本統治下の朝鮮半島で起きた三・一独立運動が大きな要因となっている。これは元大韓帝国皇帝・高宗の死去を切っ掛けに朝鮮全土で日本からの独立を求めるデモが発生し、日本政府が軍を動員して武力鎮圧した事件である。これにより日本政府は朝鮮人の反乱を強く警戒するようになり、更にこの一件が日本本土に伝わると「独立を要求する朝鮮人は帝国に逆らう不逞の民である」という考えが一般人の間にも広く蔓延してしまうこととなった。
また、震災が起きた1920年代は、大日本国粋会・大和民友会などの右翼団体による野田醤油労働争議(1922-28)の組合潰しが行われるなど、右翼勢力が幅を利かせていた時期だったことも要因の一つとされている。
虐殺の発生
震災により日本の情報網は完全に麻痺してしまい、政府も新聞社も情報の裏取りが困難な状況に陥っていた。その混乱の最中で(混乱に乗じて)朝鮮人や社会主義者による凶悪犯罪・国家転覆・暴動などのデマが発生し、それが庶民の噂話から新聞、さらには政府広報を介して広まってしまった。
特に当時の内務省警保局長が反乱を警戒するあまり、事実確認もせずに「朝鮮人による放火やテロに警戒せよ。」という電文を地方首長や警察、新聞社に送ってしまったことがこのデマに説得力を持たせる結果となってしまった。
その結果、市民による自警団や軍の一部が朝鮮人や中国人たちを襲撃した(本庄事件など)、
自警団は朝鮮人と日本人を見分ける方法として『50円50銭(または15円50銭とも)』と言わせて上手く発音出来なかった人間を暴行して回った。
誤認殺害
中には日本人であるにもかかわらず、自警団の暴走によって襲撃・虐殺された事件が存在する。
福田村事件
震災から5日後の1923年9月6日、現在の千葉県野田市にあった福田村で起きた事件。
かねてより地方から関東へと出稼ぎに来ていた薬売りの商隊(出身も書かれている営業許可の鑑札(公的許可証)まで持っていて周囲に提示したにも拘らず方言による讃岐弁で言葉がおかしいとして虐殺の対象にされ15人中、幼児や妊婦を含めた9人の香川県出身の日本人が行商で訪れた際に朝鮮人と間違えられ、地元の自警団に殺されたのである。詳細は⇒福田村事件
事件から100年後の2023年に映画化された。映画『福田村事件』公式サイト
テーマがテーマだけに、
- 平時や現代であれば「正しい」「当り前」「普通」「誉められるべき」と見做されるであろう出来事・言動のほぼ悉くが死亡フラグとして機能する。
- もちろん、登場人物の誰かが誉められたものじゃない言動をやった場合も、ほぼ悉く死亡フラグとして機能する。
- 小悪党や状況に流されやすい人達、欠点は有るが悪党には程遠い人達、そして、それだけなら情状酌量の余地が有る事実誤認が大惨事を引き起す。登場人物の誰1人として絶対悪では無いのに悲惨な事態だけは起こる。(「他人事だと思うなよ。将来、似たような状況が発生した時、やらかすのも止めるのに失敗するのも、お前かも知れないぞ」というメッセージ)
- 「朝鮮人と間違われて日本人が殺された」事件の映画化と聞いて、多くの人が思い浮かべたであろうツッコミそのまんまのセリフが、非常に意地悪な形で使われる。
という鬱展開と呼ぶも生易しい出来は悪くないが閲覧要注意の作品である。
同様の事件として検見川事件があり、こちらも大震災で東京から焼け出された地方出身の避難民も言葉がおかしいとして襲撃・虐殺している。いずれも方言が関係している。
聾唖者の扱い
山本おさむの著作『わが指のオーケストラ』や記録資料『関東大震災記憶の継承~歴史・地域・運動から現在を問う~』では、東京聾唖学校の卒業生は朝鮮人と間違えられて暴行・虐殺された事件を記している。
『わが指のオーケストラ』22話『50円50銭』は1973年9月1日の『日本聴力障害新聞』(第266号)の「民族差別とろうあ者」を参考にしているとされ、大半のろうあ者は正確な日本語の発音はおろか喋る事すらままならない。そんな彼らが自警団に呼び止められ、次々と自警団に連れていかれて多数殺されてしまう。
手話も浸透していない時代だったので関東大震災時のろうあ者は死と隣合わせだった。
混乱に便乗した反体制派の弾圧
また、軍部の中にはこの混乱に乗じて社会主義者や共産主義者、自由主義者などの反体制派を始末することを画策する者もおり、無政府主義者の大杉栄が甘粕大尉に殺害された甘粕事件や、社会主義者・10人が警察と軍部に殺害された亀戸事件などがある。
デマの訂正と朝鮮人の保護
しかし、これらの情報に疑問を持つ者も多く、日本軍第一師団が検証したところ全くのデマだと判明し、朝鮮人の暴動は流言に過ぎないというビラを市内に貼って回った。警視庁も噂はデマと確認し、デマをばら撒く者は処罰すると発表した。その後、日本政府は新聞社に情報統制を敷いてデマの拡散を抑え、警察署や軍の基地などに朝鮮人達を保護した。しかし自警団の大半はまだデマを信じており、軍・警察と自警団との小競り合いが生じることもあった。
鶴見警察署の大川常吉署長は警察署で保護した300人の朝鮮人を引き渡すよう押し掛けてきた自警団に対し「朝鮮人を諸君には絶対に渡さん。この大川を殺してから連れて行け。そのかわり諸君らと命の続く限り戦う」と言い放ち、「毒を入れたという井戸水を持ってこい。その井戸水を飲んでみせよう」と言って自警団が持ってきた一升瓶の水を飲み干して見せた。
朝鮮人達の避難所となっていた横須賀鎮守府の草鹿龍之介大尉は「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマには惑わされず、デマを信じた海軍陸戦隊の実弾使用申請や、在郷軍人からの武器放出要求に対し断固として許可を出さなかった。