概要
1955年(昭和30年)に川崎車両で試作され、国鉄が借用の上試験採用していた電気式ディーゼル機関車。1958年(昭和33年)に国鉄が正式に購入して、その後DF50形との重連総括制御対応改造と、前面の貫通扉設置の改造を受けDF50形と共に四国島内で営業運転に就き、廃車になる1975年(昭和50年)まで営業用の機関車として活躍した。
ちなみにDF40形は無用な重量増を嫌い台車を3軸×2という構成にしたのだが、曲線通過などの際にレールに大きな横圧がかかり余計にレールを傷めてしまうため、試験結果を踏まえて製造されたDF50形の台車は2軸×3となっている。また、昭和37年の称号改正によりDF40からDF91と改番されている。
pixiv内では当該車両のイラストが投稿されている。(国鉄買取前/後ともに)
横圧過大について
レールに過大な横圧が生じた理由は、3軸台車の中間軸が曲線通過時に余計な横圧を与えやすい(補足1参照)事と、台車の側受に荷重が非常に大きくかかっており台車の旋回の邪魔(補足2参照)をしていたため。その調査結果に基づき試作元の川崎車両で改良工事を施したところ、D51形蒸気機関車の横圧を下回るまで改善され、当形式は足回りが3軸台車のまま買い取り・配属された。
その結果を踏まえたDF50形では台車を2軸×3にし、中間台車は枕木方向の移動を許容するようにして横圧を小さくしてある。また、1端側に3軸台車を持つDE10形では3軸台車の各車軸が旋回できるようになっており横圧を小さくする工夫がなされている。
補足1
各台車の中間軸の車輪(本形式では第2軸と第4軸の車輪)がレールに引っかかっている状態。
補足2
語弊があるが、ボルスタレス台車で例えるならばヨーダンパーの減衰力を極端に強くしすぎてしまい、中途半端につっかえ棒の様な働きをしてしまった状態。
類似仕様の試作車
製造業者違いの試作車にDF41形(汽車製造、三井造船、東洋電機)があった。こちらはDF40形と比べると軸配置こそ3軸×2と同配置だが、性能、装備は旅客列車牽引向けとなっていた。また改番後はDF92となっているが採用には至らず、その後メーカーに返却されている。こちらは、一見すると判らないが前面に貫通扉がある。