概要
18歳の時に新聞広告を見て「東宝俳優学校」に応募。それ以来撮影所等に出入りするようになる。
1949年、黒澤明監督作品「野良犬」で映画初出演したが、編集の都合で出演シーンが全てカットされてしまった。
翌年の1950年に東宝に入社。役の付かないいわゆる「大部屋俳優」となる。
それ以来は主に切られ役として活動を続けていたが、1954年、彼が25歳の時に日本初の怪獣映画『ゴジラ』でゴジラのスーツアクターを務める。以後18年間ゴジラを演じ、ゴジラ俳優として知られるようになる。
ゴジラ以外の怪獣映画でも主役の怪獣を多数演じ、空の大怪獣ラドンでは日本初の本格的なワイヤーアクションに挑戦した。
映画以外にも松屋デパートなどのデパートで撮影用着ぐるみを着てのキャンペーン巡業や実演を行い、円谷英二からのオファーを受けてウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブンにも怪獣役で登場した。
なお、ゴジラのぬいぐるみは、一本撮影する間に中島の激しい立ち回りでぼろぼろになり、新作ごとに作り直していた。「平成のゴジラが何度も使いまわされているのは、立ち回りが足りない証拠だ」と語ってこともある。
そんな中島は、50歳までゴジラを演じるつもりでいたが、円谷英二の死に「ゴジラもおしまいか」とショックを受ける。それに加えて1971年に一度専属契約を解除されたこともあり、以降は東宝の経営するボーリング場でスタッフとして働いていた。その後、特撮スタッフからの願いを受けて同年撮影中だった、「地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン」で一度だけゴジラを演じているが、これを最後にゴジラの着ぐるみ役者を正式に引退した。
この頃中島は、怪獣役に全く興味が無くなってしまい、当時すでに東宝をリストラされた事もあって、もう怪獣を演じるつもりはなかったという。
以降は、ゴジラ関係の取材やサイン会などで度々活動していたが、2017年8月7日に肺炎のため死去した。享年88歳。
出演作(スーツアクターとして)
ゴジラ~地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン(ゴジラ(「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」では一部のアクションのみ))
モスラ(モスラ(幼虫のいちばん先頭の脚))
マタンゴ(マタンゴ)
フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)
フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ(ガイラ)
キングコングの逆襲(キングコング)
ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣(ゲゾラ、ガニメ)