概要
竈門家の長男である炭治郎が父・炭十郎から耳飾りと共に受け継いだ、竈門家に代々伝わる厄払いの神楽とそれを舞う為の呼吸法。
新年の始まりに、雪の降り積もった山頂において十二の舞型を、一晩中にわたって何百、何万回と繰り返して奉納することで、一年間の無病息災を祈る。
炭治郎は火を扱う炭焼きの家系として、ヒノカミ様に奉納するための舞いと認識・習得していたが、日輪刀と組み合わせて振るう事により、全集中の呼吸による技以上の威力を引き出せる事が判明した。しかし、威力に比するだけの消耗を炭治郎に強いるため、使いどころが限られる。
旅路の中、「ヒ」とは「日」を意味しており“日の呼吸”であると指摘されている。
生来から額に薄っすらと揺らめく火を思わせる赤い痣を宿していた父・炭十郎は、この神楽の“極み”に達していたため、死してなおその姿と言葉は、炭治郎に生き抜く術を伝授する。
他の呼吸法と異なり、ヒノカミ神楽から繰り出される技には鬼の再生能力を阻害する効果が付随し、瞬きの合間に手足の欠損すら再生して見せる上弦の鬼でも再生には時間を要する。
型一覧
以下は舞の型で全十二種。よく見ると全体的に炭治郎が鬼殺隊に入る上で師の鱗滝左近次から伝授された水の呼吸や、彼にとって心の師である煉獄杏寿郎が使う炎の呼吸に近い型が多く存在する。
その関連性について詳細は⇒ネタバレ注意
- 円舞(えんぶ)
祭具(七支刀に近い形状)を両手で握り、円を描くように振るう舞い。祭具を日輪刀と持ち換えて振るう事で、生生流転を超える威力を引き出した。
- 碧羅の天(へきらのてん)
祭具を両腕で握り、腰を回す要領で空に円を描く舞い。祭具を日輪刀と持ち換えて振るう事で、垂直方向の強烈な斬撃となり、機関車と一体化して巨大になった魘夢の頸椎を両断した。
- 炎舞(えんぶ)
祭具を両腕で握り振り下ろした後、素早く振り上げる舞い。祭具を日輪刀と持ち換えて振るう事で、高速二連撃となる。
- 炎舞一閃(えんぶいっせん)
炭治郎による改式。
炎舞に善逸から教わった雷の呼吸の踏み込みを掛け合わせ、高速の突進から斬撃を繰り出す。
- 烈日紅鏡(れつじつこうきょう)
祭具を両腕で握り、肩の左右で素早く振るう舞い。祭具を日輪刀と持ち換えて振るう事で、迎撃に向いた左右広範囲の水平斬りとなる。
- 火車(かしゃ)
祭具を両手で握り、跳び上がって身体ごと垂直方向に回転して捧げる舞い。祭具を日輪刀と持ち換えて振るうと、“水の呼吸”の“水車”に近似した断裂斬撃となるが、陽炎を纏ったその威力は比較にならない。
- 幻日虹(げんにちこう)
高速の捻りと回転による舞い。戦闘において用いれば、回避行動に特化した足運びとなる。速度だけでなく残像によるかく乱効果があり、視覚の優れた相手にほど有効。
- 灼骨炎陽(しゃっこつえんよう)
祭具を両腕で握り、太陽を描くようにぐるりと振るう舞い。祭具を日輪刀と持ち替えて振るうと、昴炎が竜巻となって降りかかる災厄を吹き飛ばす。水平方向に渦巻く焔のような闘気が、前方中距離まで広範囲を薙ぎ払うため、攻防を同時に行える。同様に前方広範囲を薙ぎ払う“炎の呼吸”の“盛炎のうねり”と近似している。
- 陽華突(ようかとつ)
祭具を右手で握り、その柄尻を左の掌(たなごころ)で押し上げるようにして、天に捧げる舞い。祭具を日輪刀に持ち替えて突き上げると、陽炎を纏った鋭い対空迎撃となる。“水の呼吸”の“雫波紋突き”に近似するが、こちらは両手で突く。
- 日暈の龍 頭舞い(にちうんのりゅう かぶりまい)
暈(かさ、薄雲に映る光輪)の名の通り幾つもの円を繋いで、龍を象るように舞台を駆け巡りながら祭具を振るう舞い。祭具を日輪刀に持ち替えて振るうと、瞬く間に“災厄”の影を祓った。どことなく“水の呼吸”の“流流舞い”に近似している。
- 飛輪陽炎(ひりんかげろう)
祭具を両腕で振りかぶり、揺らぎを加えた独特な振り方で降ろす舞い。祭具を日輪刀に持ち替えて振るうと、その刃の姿(長さ)を相手に誤認させる不可思議な斬撃となる。
相対した猗窩座は「陽炎のように揺らいだ」と評したが、彼の血鬼術を考慮するとむしろ、“本質”そのものへの認識を掻き乱している可能性がある。
- 斜陽転身(しゃようてんしん)
我が身を天に捧げるかの如く跳び、宙で身体の天地を入れ替えながら祭具を振るう舞い。祭具を日輪刀に持ち替えて振るう事で、相手の攻撃を躱しながらの鋭い一薙ぎとなる。
- 輝輝恩光(ききおんこう)
舞いについての詳細は不明。渦を巻いて燃え上がる火柱のような斬撃を繰り出す。
以下、ネタバレ注意
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十三番目の舞型。煉獄家の『炎柱の書』にその存在だけはひっそりと伝わっていた。
対無惨の為に生まれた型であり、凶祓い(マガバライ)を成す事のできる、唯一の手段とされる。
その手段とはヒノカミ神楽、つまり日の呼吸の12個の型を休むことなく行い続けること。12個の技を繰り返し続けることでやがて13個目の型になるという。
上記の型一覧は作中の登場順であるので以下が本来の日の呼吸の型の順番である。
- 壱の型 円舞
↓
- 弐の型 碧羅の天
↓
- 参の型 烈日紅鏡
↓
- 肆ノ型 灼骨炎陽
↓
- 伍ノ型 陽華突
↓
- 陸ノ型 日暈の龍 頭舞い
↓
- 漆ノ型 斜陽転身
↓
- 㭭ノ型 飛輪陽炎
↓
- 玖ノ型 輝輝恩光
↓
- 拾ノ型 火車
↓
- 拾壱ノ型 幻日虹
↓
- 拾弐ノ型 炎舞
“炎”舞と“円”舞を繋げることで日輪の様に円環を描く仕様となる。
夜中から朝まで一晩中舞うというヒノカミ神楽から察するに、この型を夜明けまで続けることで無惨を滅することが出来ると考えられる。
透き通る世界
竈門炭十郎の言によれば、『正しい呼吸』と『正しい動き』で身体の中の血管一つ一つまで認識することにより、通常ならば困難な動作も一瞬で行なうことができるようになるということ。最小限の動作で最大限の力を引き出すことで、頭の中がだんだん透明になっていき、そうすると『透き通る世界』が見えるという。
以下、ネタバレ注意
その本質は、無我の境地或いは明鏡止水と呼ばれる領域……呼吸する事と同じように当然として、水が流れ落ちる事と同じように自然に“殺す”こと。
これを開眼した人間は他人の身体の中が透けて見えるようになり、それにより相手の骨格、筋肉、内臓の働きさえも手に取るように分かるようになる。
戦闘においては敵が攻撃する際にどの部位の器官がどのように動くかを判別できるようになるため、相応の実力者ならば相手の攻撃や動作のパターンを瞬時に見切って回避および反撃することが可能となる。
さらにこの状態だと“殺気”や“闘気”といった戦闘の際に無意識に出てしまう情動も消失、感情を一切揺らがせる事無く相手の頚を落とすため、殺気を放たず自然体のまま鬼と闘える。
生前の炭十郎が至り、炭治郎に語っていたヒノカミ神楽の“極み”。炭十郎はただひたすらに「ヒノカミ神楽を舞い続ける」事のみに全神経を集中する事で、いずれ到達できると語っていた。
このように演者に凄まじい消耗を強いる舞いを、しかも一晩中奉納するという明らかな苦行であるヒノカミ神楽が竈門家に伝承された理由とは、耳飾りの剣士が竈門家先祖である炭吉一家と接点を持ち、花札の耳障りを授けた後、日の呼吸を演舞として伝えていくことを炭吉が『約束』したことに由来する。
つまり、上述の『正しい呼吸』は全集中の呼吸の日の呼吸であり、『正しい動き』とは日の呼吸の型である。
剣技としてではなく竈門家に舞として残されたのは、耳飾りの剣士が日の呼吸の技を繰り出す動きがあまりに美しく、まるで精霊が舞っているように見えたため。また、鬼舞辻無惨が耳飾りの剣士と対峙した際のことをトラウマとして記憶に残しており、黒死牟に徹底的に日の呼吸の使い手を抹殺するよう命じていた為に「鬼から隠すためでは?」とも推測されている。
事実、たかだか田舎の炭焼きだった竈門家に鬼の頭目である臆病な無惨が一家を全滅させるためだけに現れるのは、不自然とも思えるが、上記の無惨のトラウマを鑑みれば合点がいく。
前述の通り、この視界自体を会得する条件としては、身体の限界値を示す痣を発現させた上で更に身体能力を高める必要がある。
その為使用できる者は、炭十郎、炭治郎、黒死牟、悲鳴嶼行冥、そして例外中の例外として、生まれながらにして会得していた耳飾りの剣士と、非常に少ない。
“ヒノカミ”について
日本において「ヒノカミ」には、「日の神(太陽神)」「火の神(火神)」の二つの意味合いがある。
日の神は、日本神話における神々の世界・高天原(タカマガハラ)の最高神であり、日輪を司る。
創世神(父神)が黄泉の国から一尊のみで帰った後、禊によって黄泉の穢れを禍津日神(マガツヒノカミ)として清め落としてから改めて生んだ、特別な神である。
太陽神は多くの神話において男神であるのに対して、日の神は女神であるという特徴を持つ。
また、かなり特殊な方法ではあるが、英雄神でもある弟神との間に子をもうけている(研究・解釈に依る)。
火の神は、日の神や禍津日神が生まれるより前に父神(兄)と母神(妹)の二尊から産まれた(兄妹との説も)、最後の御子神である。火産霊神(ホムスビノカミ)とも呼ばれる。
「邪を祓う火を産む」という名を持ちながら火そのものでもあるため、産み落とされる際に創世神(母神)を焼き殺した親殺しにして創世神殺しの神であり、もう一尊の創世神(父神)が黄泉の国に渡る(堕ちる)きっかけを作った神でもある。更には、妻を失い怒りに駆られた父神に斬り殺され(子殺しをさせ)ながらも、その血と遺骸から多くの神々を産んだ豊穣神の面も持ち合わせる。当然ながら、大八州(オオヤシマ、つまり地上)において『火が存在している』ことから、火を司る八百万の神としての神性は生きているなど、複数の相反する特性を同時に孕んだ神である。
世界中の神話を見渡しても、これほど多くの特性を一柱で有する存在は稀であり、特に『創世神殺し』……つまり“『完璧』『全能』が存在することを全否定する”特性は、唯一神教にはそも存在し得ない事は言うまでも無く、他国の多神教にさえも見られない。
カグツチの前では、万物の祖でさえも“死”から逃れる事はできない。
アニメ第19話「ヒノカミ」
本作のアニメ第19話において、那谷蜘蛛山における蜘蛛鬼一派との戦いの最終局面において遂に登場し、かねてより本作のアニメーションの質の高さが評価されていたufotableのアニメスタッフの技術により、非常に美麗かつ迫力満点に描かれ、多くの視聴者から神回との声が上がっている。
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