「泣いてもいい 逃げてもいい ただ諦めるな」
概要
鬼殺隊が人食い鬼と戦う為に編み出した、一度に大量の酸素を血中に取り込むことで瞬間的に身体能力を大幅に上昇させ、鬼と互角以上の剣戟を繰り出す“全集中の呼吸”の一種である。呼吸は師である育手もしくは剣士自身の我流により、様々な種類が存在する。
雷の呼吸は、多くの流派の中でもその全ての基礎となっている五大流派の一つである。
対応する日輪刀の色は黄色で、呼吸音は「シィィィィ」。エフェクトは青白く光る電流。
どれも速度を重視した技であり、足の筋肉繊維や血管の一本まで意識する事により、稲妻の如き動きをする事が可能となる。
呼吸により脚に力を集中して強力な斬撃をするという点では“炎の呼吸”が近い。
派生である音の呼吸には移動しながら連続して斬撃を放つなど、弐の型以降の影響も見られる。
型は全部で六つあるが、他の流派に比べ習得難易度が高いのか、あるいは二人共偏った才能の持ち主だったのか、我妻善逸は壱ノ型しか習得出来ず、逆に獪岳は壱ノ型だけ習得出来なかった。
作中でのモブ鬼殺隊士の獪岳への陰口によると「壱ノ型が全ての型の基本」とのこと。
その証明のように善逸は、壱ノ型とその応用技のみで終盤まで戦い抜いている。
ただし、育手の桑島慈悟郎は当初壱ノ型だけしか使えない善逸に激怒していたとされており、通常の雷の呼吸の剣士は善逸のように壱ノ型だけ極めて戦い抜くというわけではないと考えられる。
壱ノ型以外は隙の少ない連撃や相手の体制を崩すことを主眼に置いたような技が多く、善逸・獪岳が二人一組で雷の呼吸の後継者とされた事からも、雷の呼吸は壱を中心に弐から陸を使い分けて戦うのが本来の戦術であると推測できる。
五大流派の中では唯一現役の“柱”が存在していない。ちなみに『公式ファンブック鬼殺隊見聞録』において、雷の呼吸の使い手の柱は「雷柱(らいばしら)」ではなく「鳴柱(なりばしら)」と表記されており、単行本17巻によると雷の呼吸の使い手が柱になった際は、この名称で呼ばれるのが習わしであるとの事。
作中の主な使い手の我妻善逸は、歴代の使い手の中でも踏み込みによる速度と、それによる居合の威力がずば抜けており、後に独自の型である漆ノ型を編み出している。
また、正規の使い手ではないが、竈門炭治郎も善逸との何気ない会話から雷の呼吸(に近しい動き)を再現し、林の中を駆け抜ける半天狗に肉薄してみせている。
型一覧
- 壱ノ型 霹靂一閃(へきれきいっせん)
前傾の居合の構えから電光石火の勢いで対象に接近しすれ違い様に一閃する。相手の攻撃の隙を与えずに先手をとれるが、使う度に構えが必要なので抜刀までの間に妨害を受けると技を繰り出す事が出来ない。
我々のイメージする「刀を構えたまま高速移動で視界から消失、次に現れたときは既に斬り終わって納刀を始めており、納め切った瞬間敵が切断される」という高速抜刀術の極致と言える技。
我妻善逸が編み出した派生技として、方向転換しながら連続で居合斬りを放つ、「霹靂一閃・六連」や「霹靂一閃・八連」、片足を潰す程の踏み込みをもって更に速い超速度の斬撃を繰り出す「霹靂一閃・神速」がある。
- 弐ノ型 稲魂(いなだま)
自身を中心として半円を描くように刃を振るって繰り出す高速五連撃。
稲魂とは「稲の魂」の意で、「稲妻」の同義語。日本では古来より「雷は天より地に伏して稲の実りを豊かにする」と信じられてきた。「稲妻」もそこに語源を持つ。
なお科学的にも雷が地中の物質を電気分解し、リンや窒素といった土壌を肥やす物質をもたらすことが判明している。
- 参ノ型 聚蚊成雷(しゅうぶんせいらい)
標的の周囲を回転しながら波状攻撃を放ち、無数の斬撃を繰り出す。
聚蚊成雷とは小さな蚊の羽音も、大群になれば雷のような音になるという意味である。
- 肆ノ型 遠雷(えんらい)
離れた間合いから強烈な踏み込みで素早く標的に斬り込む。
速度では壱ノ型に劣る代わりに、壱ノ型と違いこちらは抜刀術では無い。
- 伍ノ型 熱界雷(ねつかいらい)
下から上に強烈に斬り上げる技。
室内で使用すれば、相手は斬撃を受け切れても反動で天井に叩きつけられる。
熱界雷とは強い日射による上昇気流に前線が作用して起こる雷の事。
- 陸ノ型 電轟雷轟(でんごうらいごう)
多数の斬撃を繰り出し、敵の全身を切り刻む。広範囲に斬撃を行うため避けるのは困難。
一文字違いの四字熟語で「勢いが非常に激しいこと」という意味の電光雷轟が存在する。
電光雷轟になぞるなら、電轟雷轟は「稲妻や雷が鳴り響くこと」という意味だろうか。
- 漆ノ型 火雷神(ほのいかづちのかみ)
善逸が独自に編み出した七番目の型。
雷の呼吸の全ての基礎となる霹靂一閃の究極型とも言える技。
詳細は当該項目を参照。
使い手
派生
音の呼吸
源流
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余談
『公式ファンブック鬼殺隊見聞録・弐』の斬られ心地取材では、古くから存在する呼吸であるにもかかわらず斬られ心地を評価する鬼がいなかった。
考えられる理由としては、一瞬で頸を斬られるので「斬られた」という自覚を持てないこと、その関係で水の呼吸以上に痛みを感じないまま絶命するからといったものが挙げられるが、いずれも読者の憶測の域を出ない。