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藤原千方の編集履歴

2020-08-11 12:42:20 バージョン

藤原千方

ふじわらのちかた

飛鳥時代に四鬼を従えて朝廷に反旗を翻した豪族。古の陰陽師などもも呼ばれる。

藤原千方とは、日本の伝承に登場する伝説上の人物である。


概要

藤原千方は、『太平記』巻第16「143 日本朝敵事」の中で、紀伊名草の土蜘蛛・東国の平将門とともに朝敵としてその名が見える飛鳥時代の豪族、陰陽師。もちろん架空の人物である。

配下には金鬼風鬼水鬼隠形鬼四鬼を従えている。謡曲『現在千方』では風鬼・水鬼・火鬼・隠形鬼の四鬼。


来歴

天智天皇の時代、伊賀伊勢朝廷叛逆を企て、四鬼を従えて傍若無人の振る舞いをしていたという。神変を前に凡夫の智力では敵わず、伊賀・伊勢は王化に従わなかった。天皇の宣旨を受けた紀朝雄はかの国に下ると和歌を一首読み、鬼に向けて送りつけた。


「草も木も わが大君の 国なれば

いづくか鬼の 棲なるべし」


草も木もこの国のものはすべて天皇が治めているので、この国のどこに鬼の居場所などあろうかという朝雄の歌を見た四鬼は「悪逆無道な者に従い、善政有徳の君に背いていた、天罰は免れない」と四方に失せ去った。和歌の言霊に勢いを失った千方は朝雄に討たれた。


上記は『太平記』による説話だが、藤原千方の説話は祝言の語り物として中世にはすでに流布していたようで、能『田村』『土車』などにも取り入れられ、「草も木も~」の和歌は多少改められてはいるが『高砂』『難波』『田村』『土車』『大江山』『羅生門』『土蜘蛛』などに引用されている。

特に『田村』での引用は、鈴鹿山の鬼神(大嶽丸)に対して坂上田村麻呂が「千方という逆臣に仕えし鬼のように滅ぼしてしんぜよう」などと挑発したためか、江戸時代中期の義太夫節浄瑠璃『田村麿鈴鹿合戦』では桓武天皇の時代に復活した千方が周翁居士と名乗り、紆余曲折あって田村麻呂が討伐するという後日談的物語が作られた。有名な歌舞伎の演目『勢州阿漕浦』は『田村麿鈴鹿合戦』の四段目が独立したスピンオフ作品である。


陰陽師「藤原千方」

千方が使役した鬼の名前は鬼・鬼・鬼とあり、作品や地域伝承によっては鬼・鬼と入れ替わるなど、五行思想万物)5種類の元素に基づいている(木には陽気という意味もある)。

『太平記』では、天智天皇の御世(飛鳥時代)の人物として設定されているが、説話が語られた中世の京の民衆には陰陽師などある種の妖魔(式神)を使役する人間が存在すると認識されていたことや、千方の説話の成立時期が鎌倉時代から室町時代頃であることを考慮すれば、千方は陰陽師というイメージを持たれて創出されたのだろう。


また隠形鬼のみ、中世以降に信仰を集めた摩利支天の隠形法がモチーフだったりする。

『太平記』「日本朝敵事」でも取り上げられ、藤原千方の説話と密接に関係している『沙石集』の中世神話、つまり中世日本記第六天魔王譚といった中世神話群の影響も受けているためであろう。もしかすると千方は修験道密教行者といった性質もイメージされているのかもしれない。




──もっとも藤原千方の説話の地元では伊賀忍者の祖として推されているのだが。


余談

藤原という姓だが、これは語るまでもないが非常に由緒のある姓である。

日本各地に広まっているが、元々は大化の改新で功績のあった中臣鎌足個人に与えられたものであり、当時藤原姓を持っていた人物は非常に限られていた。

そして、この姓を与えた人物こそ上記にもある天智天皇なのである。

こうした背景を踏まえると、天智天皇の時代に藤原姓を名乗っていた千方はかなり特別な人物だったことになる。

これは作り話にありがちな設定の杜撰さなのか、あるいは何等かの複雑な背景を意図したものなのか。その点に思いをはせてみるのも面白いかもしれない。


更に余談だが、化け物退治や平将門の乱で勇名を馳せた藤原秀郷の子に千方という人物がいる。

こちらは朝廷側の人間であり、父同様に関東を拠点とし、民衆を導いた功績で知られている。

埼玉には千方神社なるものがあるが、これはこの千方を偲んで建てられたものとされている。

同姓同名の二人だが、片やを率いて朝廷に反旗を翻し、片や朝廷の御旗のもと徳政をしき死後はとして祀られるなど、互いに真逆の人生を歩んでいることに、何か歴史の奥深さを感じさせる。


関連タグ

周翁居士 陰陽師 藤原千方の四鬼


登場作品

東京レイヴンズ』シリーズ

⇒藤原千方

本編のスピンオフ漫画『東京レイヴンズ Sword of Song』に登場する銀髪の陰陽師。飄々とした性格の謎めいた少年で、逆神楽なる神事を行うために主人公たちの前に姿を現す。配下の四鬼は金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼。本作の四鬼は和歌が刻まれた神剣「歌詠」で討伐され、また大きな神事の一環として和歌が歌われている設定となっており、『太平記』など史実の説話との違いがある。

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