納谷悟朗
なやごろう
概要
1929年11月17日生まれ、出生地は北海道函館市だが、後に東京都に移住した。若い頃は京都府で長らく過ごしていたことから、関西弁を披露する機会も多かった。弟は声優の納谷六朗。妻は女優の火野カチ子。
チャールトン・ヘストンの吹き替えやウルトラマンエースに代表されるような善玉、ショッカー首領のような悪役、「ルパン三世」の銭形警部役など、演じる役柄は幅広かった。
1959年、熊倉一雄に誘われて劇団「テアトル・エコー」に入団し、死去するまで在籍した。
俳優として活躍する傍ら、洋画の吹き替えを担当するようになり、その後アニメのアフレコも手掛けるようになる。
同輩の山田康雄もそうだったが納谷も役者としても厳しく、同じテアトル・エコー所属であった安原義人も後年演技指導中にバットを持っていたのを目撃したという。
ナレーション業も初めて手掛けたのは愛の戦士レインボーマンである。ナレーションというものに興味が元々あったとされ初挑戦した。
山田康雄との関係
ただ井上真樹夫曰く「納谷さんも怖い人だったけど山田さんほどピリピリしていなかった」と証言している。実際生前の納谷曰く、我を通すために無理を言う山田に自身が利用されていたこともあったという。
例えばルパンで1カットアニメの絵ができていない回があった際、山田は「絵ができてないならできない。ね、悟朗さんできないよね?」と、自身の主張に箔をつけるため、年上の納谷にも同調を求めていたという。納谷もその場の勢い的に「ああ、まぁな…」賛同せざるを得なかったと語る。
しかし当時の山田の言動は概ね同業者の本心の代弁とも言えるものが多く、納谷も遠慮しつつもそこまで責めなかった。
そんなこともありながらも、同じ劇団かつ様々な作品で共演した山田康雄とは深い親交関係にあった。そのため千葉県で海の家を借りて、仕事終わりに毎夜のように酒を飲み交わしていたという。山田が晩年にバラエティに出た際は舞台の初日なのにも関わらずゲストに来て、それを見た山田が司会者(小堺一機)にぼやいていた。
よく酒や煙草をよく嗜んでいたことも、その後の健康状態に多かれ少なかれ影響を与えていたようである。
出演作品
アニメ
特撮
ショッカー首領 *2 /『仮面ライダー』 | デストロン首領 /『仮面ライダーV3』 | 岩石大首領 /『仮面ライダーストロンガー』 |
ネオショッカー大首領 /『仮面ライダー(新)』 | ウルトラマンエース /『ウルトラマンA』 | |
バダン総統 *2/『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』
クライシス皇帝 /『仮面ライダーBLACKRX』
血車魔神斉/『変身忍者嵐』
エメラルド星人/『ジャンボーグA』
ナレーション/『愛の戦士レインボーマン』/『仮面ライダーアマゾン』
ゲーム
テラ /『ファイナルファンタジー4』(DS版) | 鈴木源三郎 /『EVE bursterror』(セガサターン版) | 爆裂山和美 /『ときめきメモリアル2』 |
吹き替え
オビ=ワン・ケノービ(アレック・ギネス) /『スター・ウォーズ』*3 | ジョン・クリーズ(2代目) /『モンティ・パイソン』*4 | ジョン・ウェイン |
リー・ヴァン・クリーフ | ||
*1 後任は山寺宏一(生前のキャスト変更による)。
*2 没後の担当者は、関智一(『スーパーヒーロー大戦GP』、『仮面ライダー大戦』)、佐々木省三(ゲーム『スーパーヒーロージェネレーション』)。
*3 没後に制作された『フォースの覚醒』、『スカイウォーカーの夜明け』で、原語版ではアレック・ギネス本人のライブラリ音声が挿入されているシーンの日本語吹き替えでは森川智之が担当(森川は自身の持ち役である『エピソード1』〜『エピソード3』のオビ=ワンを演じるユアン・マクレガーによる新規収録部分を含む)。
*4 現役引退後に制作された映画作品『モンティ・パイソン ある嘘つきの物語~グレアム・チャップマン自伝~』の吹き替えは、大塚芳忠が担当。