東急多摩川線
とうきゅうたまがわせん
歴史
元々は東急電鉄(旧・東京急行電鉄)の前身となる会社の一つである「目黒蒲田電鉄」が、田園調布開発のため1923年(大正12年)(※1)に敷設・開業させた路線を母体とする「目蒲線」(目黒駅〜蒲田駅間)の一部だった。この歴史的経緯から、東急電鉄発祥の路線と呼ばれている。
2000年(平成12年)8月6日に帝都高速度交通営団(営団地下鉄)(※2)南北線および東京都交通局(都営地下鉄)三田線との相互直通運転を開始するため、目蒲線は目黒駅〜田園調布駅間が目黒線(※3)、田園調布駅〜多摩川駅(※4)間が東横線(※3)、多摩川駅(※4)〜蒲田駅間が東急多摩川線に分割され、現在の姿となった。なお、田園調布駅から東横線・目黒線の多摩川駅寄りには、東急多摩川線の多摩川駅(地下の5・6番線ホーム)へ接続するアプローチ線が設置されているが、これは路線分割前の目蒲線が営業運転で使用していたものである。
2007年(平成19年)より本路線と駅、沿線の町を舞台とした現代アートによる街づくり計画、「多摩川アートラインプロジェクト」が立ち上がっており、美術を意識した形でのイベントなどが行われている。
(※1)同年3月11日に目黒駅〜丸子駅(現在の沼部駅)間、同年11月1日に丸子駅〜蒲田駅間がそれぞれ開通した。
(※3)目蒲線の分割当初は、運転系統名としての目黒線は目黒駅〜田園調布駅〜多摩川駅〜武蔵小杉駅間で、2008年(平成20年)6月22日に武蔵小杉駅〜日吉駅間が延伸された。田園調布駅〜多摩川駅〜武蔵小杉駅〜日吉駅間の正式路線名は東横線(複々線区間)である。
(※4)目蒲線の分割と同時に多摩川園駅から多摩川駅に改称。
沿革
元々同一路線であったため、一部東急目黒線と関連する内容を含むが、東急多摩川線の遍歴は以下の通り。
- 本路線は1923年3月に、東急電鉄の前身となる鉄道会社のひとつ、目黒蒲田電鉄が敷設した路線で、当初は目黒-丸子(現在の沼部駅)間で開業した。同年11月に蒲田駅までの路線が全通(当時の目蒲電鉄蒲田駅は、池上電気鉄道(現・池上線)蒲田駅とは別の地点にあり、蒲田駅直前でカーブして京浜東北線と並走したところにあった。)、目黒-蒲田間での営業が開始される。1924年には、丸子-武蔵新田間に鵜ノ木駅、下丸子駅が開業。また翌1925年には、矢口(現:矢口渡駅)-蒲田間に本門寺道駅が開業。
- 駅名は丸子駅が1924年に武蔵丸子駅、次いで1926年に沼部駅へと改称。矢口駅は1930年に矢口渡駅に改称。本門寺道駅は1936年に道塚駅へと改称。現在の多摩川駅は、1923年の路線開業時、奇しくも現在と同じ多摩川駅の名で開業したが、1926年に丸子多摩川駅、次いで1931年には多摩川園前駅へと改称している。
- 1926年には東京横浜電鉄神奈川線(現東急東横線多摩川駅以南)丸子多摩川-神奈川(かつて反町-横浜間に存在した駅)間が開通し、目蒲線経由で目黒への直通を開始。この時目蒲線も運転系統が一時分離され、神奈川線と直通する目黒-丸子多摩川間と折返運転がなされる丸子多摩川-蒲田間に分割された。この状態は1928年に神奈川線改め東横線が渋谷まで延伸し目蒲線との直通運転を中止するまで続いたが、奇しくも現在の目黒線・多摩川線とよく似た運行形態が戦前の時点で既に行われていたという事になる。
- 大東亜戦争末期の1945年6月、矢口渡-道塚-蒲田間路線付近が空襲によって焦土化、かつ目蒲線蒲田駅が焼失したため運行休止。同年8月に目蒲線蒲田駅を現在の形となる池上線蒲田駅に乗り入れる形で統合し矢口渡から南東側にレールを敷いて新線が開業。新線開業に伴い、道塚駅は再開業することなく翌1946年に廃止された。
- 1966年、鵜ノ木駅が鵜の木駅に改称。次いで1977年、多摩川園前駅が多摩川園駅に改称。
- 2000年8月、東急目蒲線が運転系統を分離。これにより東急目蒲線は、東急目黒線と東急多摩川線に分割される。東急多摩川線としての営業開始。多摩川園駅が多摩川駅に改称。
運行形態
全列車が各駅停車のワンマン運転である。優等列車こそ運行されないものの、都内の人口密集地を走行している事もあり、日中においても約7分毎という高頻度運転を行っている。
当路線の沿線には車両基地がなく、池上線の雪が谷大塚駅に隣接する雪が谷検車区に所属する車両を使用しているため、池上線内のみで完結する折り返し運転の他、出入庫を兼ねた雪が谷大塚駅〜蒲田駅〜多摩川駅間、五反田駅〜蒲田駅〜多摩川駅間の池上線・東急多摩川線直通列車(蒲田駅で向きが変わる)も少なくない。
ワンマン化に伴い、全駅にセンサー装備のホーム柵が設置されている。
使用車両
全列車が18m車の3両編成により運転されている。前述の通り、雪が谷検車区に配置される車両を使用する関係で、池上線との共通運用が組まれている。
駅一覧
駅番号 | 駅名 | 読み | 接続路線 | その他 |
---|---|---|---|---|
TM01 | 多摩川 | たまがわ | 東急電鉄:東横線(TY09)、目黒線(MG09) | 駅近郊にかつて「多摩川園」という遊園地があった(1925年開園、1979年閉園)。閉園後も2000年の改称まで駅名に名残が残っていた。 |
TM02 | 沼部 | ぬまべ | なし | 近郊に桜の名所「桜坂」があり、福山雅治の楽曲はこの桜坂が元である。 |
TM03 | 鵜の木 | うのき | なし | 毎年7月頃に「全国鵜の木祭り」というイベントが開かれる。目蒲線時代は目黒寄り1両でドアカットが行われていた。 |
TM04 | 下丸子 | しもまるこ | なし | キヤノン本社最寄り駅。近辺は漫画「それでも町は廻っている」の舞台モデルにもなっている。 |
TM05 | 武蔵新田 | むさしにった | なし | 近郊に新田義興を祀る新田神社がある。また破魔矢発祥の神社でもある。 |
TM06 | 矢口渡 | やぐちのわたし | なし | ナムコ(現・バンダイナムコグループ)発祥の地。また、駅名となった多摩川の渡し船・矢口の渡しも1949年までこの駅の近くに乗り場があった。 |
TM07 | 蒲田 | かまた | ||
蒲田東急プラザ内に駅がある。西口はユザワヤの聖地状態である。 |
余談
この路線の届出上の正式な路線名称は単に「多摩川線」ではなく、会社の略称である「東急」を冠した「東急多摩川線」であり、車内の自動放送や路線図などにおいても必ずこのように呼称されている。これは東急新横浜線も同様である。名称設定時に西武鉄道の多摩川線(こちらは「多摩川線」が正式名称)が東京都内に既に存在していたこと、過去に東急にも同じ「たまがわせん」という読み方の「玉川線」(※1)や「新玉川線」(※2)が存在したことから、これらの路線との混同を防止するためである。
(※1)渋谷駅〜二子玉川園駅間の路面電車(通称・玉電)。そのうち、三軒茶屋駅~下高井戸駅間は「世田谷線」として現存している。
(※2)渋谷駅〜二子玉川駅間。2000年(平成12年)8月6日に田園都市線に編入されて名称消滅。
起点と終点を除く全ての中間駅は上下線ホーム、および改札が分離されており、仮に行先を間違えた場合でも折り返しての乗車が不可能な構造である(跨線橋や構内踏切は存在しない)。そのため行先をよく確かめてから改札を通る必要がある。