概要
出生名は「野々村 達也」で、家庭の事情で母方の祖母の養子になったことで現在の姓となった。
タレントとしてはホリプロ所属。
小学生の頃から漫画を描き始め、中学生からは漫画家を目指して雑誌に投稿するための作品を執筆するようになるが、一度は漫画から離れる。
その後、愛知教育大学在学時より本格的な創作活動を始める。大学卒業後は地元の名古屋の中学校に教員として就職したが、漫画家になるべく数ヶ月で退職し、上京。本宮ひろ志の弟子となる。
本宮プロダクションでアシスタントをしていた1984年に「BE FREE!」(『モーニング』)でデビュー。以降青年漫画を多く手掛ける。
数学教員であった経験を活かして、学習や教育学的なテーマ、数学にまつわるネタを盛り込むことが多い。また、自身が興味を持っている心理学に関する内容も度々取り入れられている。
線の細い画風で「エロカワ」な美少女を得意とする。軽いタッチのエンタメ性を重視したストーリー展開が特徴だが、本宮の弟子ということもあって時に大人向けの重厚な描写も見られる。
代表作に、『まじかる☆タルるートくん』、『東京大学物語』などがある。
近年は『日露戦争物語』『マンガ最終戦争論』などの歴史・社会学漫画も制作している。
現在は漫画家としてはほとんど活動しておらず、タレントとしての活動が中心である。
しかし、本業がおろそかになっていることや、その尊大ともとれるような態度や独特の倫理観に基づくあらゆる意味で過激な発言から漫画家や読者からも批判されることが少なくない。詳しくは後述するが、同業者では平野耕太や島本和彦が彼の言動に対して苦言を呈している。
Pixivにも本人のアカウントがあるがほとんど更新されていない。
本人によれば、実の兄と母が新興宗教にのめり込んだため、自身が経理を頼んでいた漫画家としてのギャラを含めた資産を(兄が)使い込んでおり、両親の遺産相続に関して長年に渡り裁判が続いている(江口自身の見解では「兄が母にお布施を強要していた」「両親は兄の言動がストレスで病になり亡くなった」とのこと)という。
作品
BOCCHAN 坊っちゃん
戦国里見八犬伝 Episode Zero
織田信長物語~桶狭間合戦の真実
テレビ出演
ビーバップ!ハイヒール(ABCテレビ)※当番組内での肩書きは一応現在も「(エロ)漫画家」である。
タモリ倶楽部(テレビ朝日)※おそらく最も同番組に出演した漫画家と思われる。
逸話
- 前述の通り、週刊少年ジャンプで名を成した本宮ひろ志の弟子であり、自らもジャンプ誌上で連載を持つことで8億円の資産を築いた。が、後年「俺は『ONEPIECE』は読まない。」「ジャンプの王道がつまらない」と自らのルーツに携わる部分を否定している。
- 水木しげるを「独創的」絶賛する一方で、手塚治虫と宮崎駿に対しては「マンガの悪魔」「独創的でない」「アメリカが喜ぶ日本を描き続けているところが嫌いで、自分の興味があるものだけを、世間の評判に関係なく、ひたすら描き続けている」「エロと暴力が巧妙に隠されている」と非難している。
- 一方読者からは「(自分の師匠やF先生から多くインスピレーションされている)『エロと暴力』が少なからず含まれる自分の作品を棚に上げてなにを…」といった冷ややかな反応が多い。
- 藤子・F・不二雄の死後、当人を「子供を食い物にするハラ黒い大人」と評し、藤子が手掛ける「(江川曰く)人の欲望を際限なく肥大化させる作品」の『ドラえもん』に対するアンチテーゼとして『まじかる☆タルるートくん』(1988~1992年)を手掛けた。が、結局「模倣に終わった」と感想し、その後、何を考えたか『ドラえもん』の牙城である月刊コロコロコミック誌上であれほどこき下ろしていた同作と同じコンセプトの『魔動天使うんポコ』を連載(1997~1998年)。そして、その最終回は藤子の掲げていたテーマを否定する形で終了した。
- かつて、18人雇っていたアシスタント達に対するパワハラが原因でそのうち15人が一夜にして職務放棄して逃亡した。残った3人に対しても「責任感が無い」と怒り、結局クビにした。真偽は不明だが、その直後の様子として椅子が蹴倒され机や壁中に江川に対する罵詈雑言が書き殴られた、荒れ果てた職場を描いた江川本人によるイラストが存在する。
- 後年、江川は「2日で20ページぐらいを1本描くんですけど、自分は人物を全部描いて、ストーリーも作って。背景はアシスタントに任せて。週刊(マンガ)1本で6人なので18人雇っていた」とした上で「アシスタントに目が届かなくなっちゃって、気付いたら15人辞めちゃった。」とも発言している。
- 上記の騒動以後、一切アシスタントを雇っていないとされる。そして、自身の作品の売りであった技巧を凝らした背景等を任せていた人材が蒸発したことで、それ以降作品の画質が劣化していると方々から指摘されるようになる。2006年、 「司馬遼太郎の『坂の上の雲』はつまらない、自分の方が面白く書ける」という趣旨で約5年間にわたりビッグコミックスピリッツで連載されていた『日露戦争物語』が日露戦争に到達するどころか日清戦争の途中で打ち切りになった。公式発表による終了の要因は、内容がどんどん学術的になってエンターテインメント性が薄れたため、読者人気が下がったからとしている。一方で、この作品は当初は写真資料等からその時代の風景に沿った丁寧な絵でストーリーを進めていたが、作品末期の旅順攻略戦の段階になると、白紙に線と無駄に大きい効果音だけで背景が皆無の陸戦が冗長な解説調のセリフと共にむなしく展開されるだけという始末で、娯楽マンガとしてはなにが描かれているのかサッパリ分からない出来になっている。このため、(前述の事件の影響から)既にこの段階で作品全体のクオリティを維持できなくなっていたとも考察されている。
- 同じく2006年には、特撮エースにて手掛けた映画『仮面ライダーTheFirst』のコミカライズを下描き同然の線にほとんど白紙の背景という乱雑な作画&映画版の構成ガン無視という状況で掲載させるという暴挙に出る。同年、この件に関して同業者であり仮面ライダーにリスペクト心の強い島本和彦がラジオ上で「描きたくねえなら描くなって感じですよ」「なぜ編集側は許可を出した!?」と江川の創作姿勢を非難した。
- 2016年3月より、「コミック誌で漫画を連載するというのは時代の流れにそぐわない」「デジタルコンテンツとしての漫画が登場してきてもいいのではないか」という意図から自伝的な作品としてWeb媒体のサンデーうぇぶりにて『忘却の涯て 16歳の自分への手紙』を連載開始(※クラブサンデーから中途移行)。サブタイトルは「渾身の人生最後の漫画」であった。しかし、11月11日に更新された第9話においてあっけなく打ち切りが決定した。原因ははっきりとしないが、読者コメントでは「ベタ塗りが煩雑」「ストーリーが滅茶苦茶でも絵が上手だったから読めたのに…」といった不評が寄せられており、フルカラーのデジタル作画に移行したことで作画のアラが目立つ結果となったのが一つの要因ではないかと見られる。
- 2016年10月6日の『バイキング(フジテレビ)』に出演した際に、大ヒットした映画『君の名は。』について「プロから見ると全然面白くない」「売れる要素ばっか詰め込んでライトっぽい」と辛口コメントをした。これに対して漫画家の奥浩哉が「この人、なんのプロなんだろう…」「プロ漫画家代表みたいなの やめて欲しいですね」とツイート。さらにこれを受けて同じく漫画家の小林よしのりが自身のブログ上で「江川は恐らく嫉妬しているのだろう」とコメント。さらに自身にとっての(漫画家としての)プロの条件として「マンガを描いてそれで稼いで、それで家族やスタッフ達を養っていること」とし、「(手塚治虫もそうであったように)嫉妬したければプロで在らねばならない」という趣旨の補足をしている。
このように自信家かつ唯我独尊の気が多く、幾多の逸話などからモラル観が独特と見做されている。主な活動の場を漫画からタレントに移して露出が増えて以降、その放言癖や自己中さを問題視する関係者も多く、ネット上でもその言動があまりにも矛盾している場合が多いためその評判は(お察し下さい)。
漫画家の平野耕太は自らを『江川達也をテレビで見るたびに舌打ちをする係』と称していた時期があり、『タモリ倶楽部』への出演に関しても「江川のいないタモリ倶楽部は宝石。」と評している。
※ちなみに、先述の小林よしのりは1976年に週刊少年ジャンプで『東大一直線』を発表してデビューしており、奥浩哉は2000年から週刊ヤングジャンプで『GANTZ』を手掛けて名を成していて、奇しくも同じジャンプ系列の先輩・後輩からツッコミを受ける結果となっている。
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元アシスタント
藤島康介 坂本眞一 藤沢とおる 山田玲司 田畑由秋 いとう耐
砂倉そーいち 宮本明彦 松浦聡彦 中井邦彦 まんしゅうきつこ