概要
アニメ『けものフレンズ』のエンディングテーマ(第2話以降)。
作詞・作曲・歌:みゆはん。同氏のミニアルバム「自己スキーマ」に収録される。
ポップで明るいオープニングとは対照的に、何処か物悲しさの内包されたメロディに加え、作中の人物と関連深い単語が入れられた曲名と散りばめられた意味深な歌詞、バックには実写の廃墟となった実在の遊園地・水道橋といった退廃的な映像が流され、回を重ねるごとに徐々に露見する本作の不穏な裏事情を彷彿とさせる。
作中ではヒトのフレンズが「現存種」にもかかわらず「ヒトはもう居ない」「絶滅した」と語られたが、この曲の映像と歌詞、本編中に見てきた仲の良いフレンズ達の姿で、その原因がヒトがヒト同士でジャパリパークで暮らしているフレンズ達のように仲良しになれなかったばっかりに社会が崩壊してしまった事を想像させてしまう。
ぶっちゃけ、フレンズたちにそのつもりはなくとも、協調性や信頼関係を欠いた人間達が衰退して、人間より社会性や身体能力、集団生活能力が優秀な種族が人間にとって代わった世界である事がわかる。
自然淘汰がよしとされるような社会、現代の人間関係のもろさでは…今のままでは現実の世界も同じ原因で今の社会が破綻しうるかもしれない。 参考
また、各シーンには本作のキャラクターたち(フレンズ)と思しきシルエットが確認される(後述)。
…と、ここまで書くと陰鬱なイメージが付きそうだが、それはあくまでエンディングの映像と歌詞との組み合わせの部分。
歌詞の中身はかけがえのない友人と今後も友好を続けたいという、そんな可能性の高い社会崩壊の原因とは真逆の想いが綴られており、決して後ろ向きな曲ではない。
けものフレンズは見た目こそ「動物の擬人化コンテンツ」だが、その背景には「自然と生命」・「生と死」・「記憶と記録」という普遍的なテーマがあり、これはヒトとフレンズだけでなくセルリアンにも当てはまる。
始まりの出会いから、この曲が誕生した出会い、そして現在の出会いまで脈々とそのテーマは引き継がれており、フレンズの個体替わりや再フレンズ化という形で別れや死も表現されている。
この曲は「かけがえのない『あなた』との出会いと別れ」、そして「別れは必ず訪れるが、『あなた』との思い出は残り、これからも続く」という『けものフレンズ』の世界観を、ある意味最も体現する曲と言えるだろう。
なお、楽曲の著者であるみゆはんは、アニメ本編においてもスナネコ役で出演しており、作中で本曲の鼻歌を披露している。また、曲の収録された前述のアルバムのCMの一つでもスナネコを演じてナレーションを挿入している。
その他
映像内に登場する遊園地はすべて実在する、もしくは実在したが現在は閉園している遊園地である。また映像の中には登場キャラクターのシルエットが隠れている。
- 最初に登場するジェットコースター、観覧車、水道橋の次に出てくる空中ブランコ→シックスフラッグス・ニューオーリンズ(アメリカ)ハリケーン・カトリーナの被害にあい、2005年に閉演。
- 三つの扉→ボブロ島遊園地ダンスホール(カナダ)現在は閉演し、廃墟になっている。
- 中央の扉の右側にイワビーのシルエット
- 水道橋→クラウディア水道橋(ギリシャ)西暦38年ごろ建造されたとされている橋
- 画面左側にフルルのシルエット
- メリーゴーランドの馬→アーヴィン・レジャー(イギリス)現在でも営業中
- 手前の木馬の向こう側にプリンセスのシルエット
- 観覧車→ペルボウラリスク・クリトゥリ・イ・オッデハ公園(ロシア)現在は廃園
上述のシルエットは皆本編におけるメインキャラクターであるフレンズで構成されているが、その中で唯一、主人公のかばんだけが登場していない。このことから視聴者の間では「かばんはフレンズ(アニマルガール)じゃないから」「映像はかばんの視点によるものだから」など様々な推測がされている。
また、第11話の映像では彼女たちのシルエットがなくなりクレジットの順番が前後しているが、同エピソードでのラストシーンと先のかばん視点説と合わせ「かばんの安否に関わる重大な事態を暗示しているのではないか?」という声も一部で挙がっていたが、杞憂に終わった。
Pixivでは
前述通り、本編とは違った何処か影のある演出のせいか、いつかは訪れるであろう冒険の終わりを連想する視聴者も多く、第一期の終幕まではPixivにおいても、何処か物悲しげな表情のかばんとサーバルのコンビ(さばんなコンビ)を題材にしているものが多かった。
一方で、その歌詞の内容から、実はミライさんや奈々、アプリ版に登場したセーバル視点の歌なのではないか?と推測したイラストもいくつかみられる。
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