プロフィール
馬名 | アオラキ |
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欧字表記 | Aoraki |
生年月日 | 2020年2月12日 |
性別 | 牡 |
毛色 | 白毛 |
父 | ゴールドシップ |
母 | カスタディーヴァ |
母の父 | ハイシャパラル |
生産 | ディアレストクラブ(北海道浦河町) |
馬主 | 石井輝昭 |
調教師 | 田村康仁(美浦)→ 今津勝之(名古屋)→ 水野貴史(浦和) |
概要
アオラキは、2020年2月12日にディアレストクラブにて誕生した牡馬。
名前の由来は母の故郷のニュージーランド最高峰クック山のマオリ語名アオラキ(Aoraki、「雲の峰」の意)より。
日本で誕生した白毛牝系のシラユキヒメとは完全に別の血統の白毛馬ということもあり、産まれた時から存在がそこそこ知られていた。
父はGⅠを6勝し、やれ「白いの」だの「アレ」だのと言われ、ウマ娘にもなったゴールドシップで、彼にとっては初の白毛の産駒である。
母はニュージーランドで生産された白毛のカスタディーヴァで、ニュージーランドで産まれた突然変異の白毛牝馬The Opera House(テイエムオペラオーの父オペラハウスとは全く関係ない)の子ども。彼女の父ハイシャパラル・母父ザビール(Zabeel)共にステイヤーであり、ゴールドシップ側もステイヤー血統なため長距離が主戦場になると思われる。
さらに遡ると、アオラキの高祖母ベネディクション(Benediction)から分岐し、日本調教馬で重賞3勝のプリモシーンや、米マイルGⅠ・ファーストレディステークス勝ち馬ブロウアウト(Blowout)を輩出した牝系である。
白毛の毛色に加えて目も特徴的であり、両目ともに虹彩の色素が薄いために青っぽい目に見える魚目(さめ)である(3つ下の白毛の半妹も魚目)。
父親の武勇伝とデビュー戦における騎手の人選(後述)から気性難を心配するファンもいたが、ディアレストクラブで飼育されていたユニバーサルドナー(輸血を必要とする子馬の治療に使用する血液を採取する為の馬)のポニーである"ミルクティー"と育成牧場へ旅立つまで常に一緒にいたため、周りの2歳馬と比べても大人しい性格が形成されたという。そして古馬になってからは後述の気性の幼さは消え、むしろ全く以て警戒心の無い性格になった事で「(大抵気性難の白毛馬ならまだしも、大人しい産駒ですらボス馬が多いとされる)アレの種から何故こんな無垢な天使みたいな馬が出て来たのか」などと言われるに至り、「すあま」・「ムーミン」とあだ名を付けられるに至っている。寝る時は寝藁を咥えて寝る。
尚、ゴールドシップには、別の白毛牝系(ホワイトビューティー系)であるサトノジャスミンとの間に白毛牝馬が2頭(ゴージャス、サトノジャスミンの2023)産まれている。
経歴
美浦トレーニングセンターの田村康仁厩舎に入厩。
デビュー前の段階では特に気性の難しさを見せることもなく、おとなしいと評価されていた。
しかし…
メイクデビュー~2歳
2022年7月3日に函館競馬場第5R(8頭立て、芝1800m)にてデビュー、鞍上は池添謙一。
1枠1番で単勝オッズ5.9倍の3番人気。
しかし、レースではまず人が満員のパドックに驚いたのかうるさいところを見せてしまう。
スタートも出遅れ、さらに隣の馬にぶつかられるというアクシデントも発生。
鞍上の池添が必死に手綱を引いて抑えるも、第1コーナーでは思いっきり掛かっていた。
第3コーナーで鞍上からのゴーサインが出ると、父譲りの捲りで追い上げたが、直線で伸びあぐね4着となった。
普段は大人しい馬だが、パドックや返し馬では緊張からか暴れており、気性面の幼さが課題となりそうである。
続いて2戦目の未勝利戦。
前回と同じく函館競馬場、芝1800mで、鞍上は池添。
前回の反省点を活かし、返し馬までメンコを着用。制動力の強いクロス鼻革を装着しての出走となった。
今回はスタートもしっかり決め、やっぱり掛かりながらも六番手付近を追走する戦法をとった。
再び第3コーナーから一気に追い込んでいき、サンライズフォルスの3着に食い込んだ。
白毛の先輩と共演
その後は、しばらく函館競馬場にとどまって調整を続けている。
7月29日には札幌記念前の調整で函館に入厩していたソダシ、函館記念を制した後も入厩し、同じく札幌記念を目標とするハヤヤッコとともにパドックに登場。白毛馬3頭が共演し、競馬ファンたちに話題を提供した。
中央の壁は厚く…
しかし、結局2歳時は5戦して勝鞍を挙げられず。
3歳となった2023年も未勝利戦への出走を続けるが、8月まで8戦して3着2回が最高。
通常、3歳馬が夏競馬の終わり(9月初頭)までに初勝利を挙げられなければ美浦・栗東を去ることが大半なのだが、アオラキは非常に人気を得ていたこともあり、そのまま美浦・田村厩舎に留まるチャンスを得た。
だが、秋以降はもはや「3歳未勝利」の番組はなく、1勝クラス戦に格上挑戦するしかない。ダートを試してみるなど試行錯誤を繰り返したが初勝利は遠く、4歳となった2024年1月27日の1勝クラス足立山特別(12着)がJRAでの最後のレースとなった。JRA通算17戦0勝[0-0-3-14]。
名古屋移籍~初勝利
その後、名古屋競馬の今津勝之厩舎へ移籍。
そして移籍2戦目、笠松競馬場A7組(ダ1600m)大畑雅章騎乗のアオラキは、砂を防ぐためのホライゾネット(メンコの目の部分を網で覆う馬具)の着用や、砂かぶりを避ける意味もあって早々に先頭に立つ積極的な競馬が奏功し、2着に2馬身半差の快勝。通算19戦目で、ついに初勝利を挙げた。その際に岐阜新聞Webのコラム「オグリの里」でアオラキフィーバー・イン笠松と称して大々的に取り上げられた。名古屋通算8戦2勝[2-0-0-6]。
浦和移籍
2024年7月に浦和競馬場の水野貴史厩舎へ移籍。