概要
『ウィザーディング・ワールド(魔法ワールド)』における村。魔法族と非魔法族の混合集落のひとつ。イングランド西部に位置する。
多くの著名な魔法族が住んでいたことでも知られ、数々の歴史的出来事の舞台ともなった。
ハリー・ポッターの生まれ故郷であり、ポッター家やダンブルドア家、バチルダ・バグショット、イグノタス・ペベレル、ゴドリック・グリフィンドールなどが住んでいた。
名前
原語では「Godric's Hollow(ゴドリック・ホロウ)(ゴドリックの谷)」。ややこしいが、「谷」という地名なだけで実際は村。谷間にある村とかでもなさそうである。シリコンバレーが実際にバレー(谷)でないのと同じ。
風景
中心の広場には聖ジェローム教会、郵便局、パブが一軒ずつと、いくつかの売店があるのみである。
通りには古風なコテージと教会に通じる教会小道がある。
歴史
著名な魔法歴史学者バチルダ・バグショット著の『魔法史』によれば、1689年の国際魔法使い機密保持法に批准してから多くの魔法使いたちが住むようになった村のひとつである。
同著によると、10世紀に活躍した偉大な魔法使いにしてホグワーツ魔法魔術学校の創設者の一人、ゴドリック・グリフィンドールの出身地であり、魔法界の金属細工師、ボーマン・ライトが最初のスニッチを鋳た場所でもある。
また『吟遊詩人ビードルの物語』に収録された『三人兄弟の物語』のモデルであるペベレル三兄弟の三男、イグノタス・ペベレルが死んだ場所であり、教会に墓が残されている。
ゴドリックの谷の決闘
1899年、ゴドリックの谷に暮らすアルバス・ダンブルドアとアバーフォース・ダンブルドア兄弟と、当時大おばのバチルダ・バクショットの家に滞在していたゲラート・グリンデルバルドら三人の間で三つ巴の決闘が起こる。
アバーフォースがグリンデルバルドに怒りを爆発させたことが始まりだったこの決闘は、当時14歳だった末妹のアリアナ・ダンブルドアは彼らを助けようとして制御しきれない魔法を行使し、誰かの攻撃に偶然当たって死亡したことで決闘は中断され、グリンデルバルドは逃亡した。
ポッター家襲撃
予言の半分をセブルス・スネイプに聞かされたヴォルデモートは予言の子、ハリー・ポッターが大きな脅威になると感じていた。
秘密の守人であるピーター・ペティグリューからポッター家の場所を聞き出したヴォルデモートはゴドリックの谷に赴く。
1981年10月31日のハロウィーンの夜、息子を守ろうとしたジェームズ・ポッターとリリー・ポッターはヴォルデモートの手にかかって殺された。
ヴォルデモートは赤子のハリーを殺そうとしたが、リリーの愛の守りに敗れて力を失った。
記念碑
ジェームズとリリーの遺体は谷の教会、聖ジェローム教会の墓地に埋葬され、墓碑には「最後の敵なる死もまた亡ぼされん」と刻まれている。
その後、いつごろ建造されたものかは不明であるが一家3人の像が夫妻への思い出、ハリーへの献辞として建てられた。遠くからだと、像は戦没者の名を刻んだ記念碑として見える。マグルには記念碑しか見えないが、魔法族が近づくとそれはジェームズとリリー、そして彼女に抱かれた赤子のハリーの像に変わる。
ハロウィーンの惨劇の後は廃屋はそのまま魔法で保存され、解説の看板、ポッター家の像などがあり、掲示板によれば「ポッター家の記念碑として、さらに家族を引き裂いた暴力を忘れないために」廃墟のまま保存され、掲示板は何年にもわたる、訪れた者の名前やハリーへの応援メッセージで埋め尽くされている。
ハリー・ポッター襲撃
1997年、ハリー・ポッターとハーマイオニー・グレンジャーはヴォルデモートの分霊箱を破壊するのに必要なグリフィンドールの剣を求めてバチルダ・バグショットに会いにこの村に来た。
ハリーはもともとアルバス・ダンブルドアの死を受けてそこに行ってみたいと考えていただけだったが、ハリーは最終的に両親の墓と家を訪れた。
このとき二人はバチルダ・バグショットの死体に隠れていたナギニと会い、ナギニは蛇語でハリーと会話した。
ハーマイオニーを一人にしてハリーと二人きりになったナギニは、ヴォルデモートにハリーを捕まえたと報告し、彼を襲撃した。
しかしハーマイオニーが助けに入り、爆発呪文を放って、ふたりは姿くらましで脱出した。