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ジミー大西
3
日本のお笑いタレント、画家。

概要

1964年1月1日生まれ。大阪府八尾市出身。

本名は大西 秀明(おおにし ひであき)。名前の由来は豊臣秀吉から「秀」と元日に産まれたことから「明けましておめでとう」の「明」を組み合わせたもの。

愛称は「ジミーちゃん」。


いじめられっ子→吉本の天然芸人→画家という奇跡的なスキルアップを成し遂げた男である。


子供の頃から勉強は苦手だったが運動能力が高く、野球に熱心に取り組んでいた。小学生の頃は桑田真澄らも所属したボーイズリーグの強豪「八尾ボーイズ」に所属したほか、高校もスポーツ推薦で強豪大阪商業大学堺高等学校に入学している。


一方で高校時代は深刻ないじめに遭い、ある時同級生に裸で線路に突き落とされ、電車を緊急停車させたという事件があった。このことで学校は停学、両親は多額の賠償金を借金してまで払う羽目になってしまったが、彼を陥れた同級生は未だに処分が下されていない。


高校在学中から担任教師のつてで吉本興業にアルバイトとして出入りするようになる。卒業後は正式に芸人として所属するようになった。


彼がお笑い芸人として知名度をあげたのは、明石家さんまの功績が大きい。

吉本興業に入った当初はさんまの勧めでぼんちおさむの弟子に入ったものの、放送禁止用語を叫ぶなどの問題行動を起こしたため仕事を干されそうになる。それをさんまが彼を運転手として雇うことで救い、テレビで使えるようになるまで育て上げた。これによりジミーはさんまを慕うようになり、つきまとうようになった逸話がある。

なお、「ジミー」の由来はさんまがテレビで見た野生のゴリラの名前から取ったもの。


また、萩本欽一が「あのボケを狙ってやってるなら彼はチャップリン以来の天才喜劇役者だ」と関心を示し、一度二人だけで会談をしたことがある。会談後、萩本は「天然だったね・・・」とこぼし、この一件から「天然ボケ」という造語が生まれたとされている。


学業成績は散々で、自動車免許を取るにしても本来ならば2週間で免許が取れる合宿制の自動車教習所に通ったにもかかわらず、免許を取るまで半年もかかったほど。さんまから「車がもう一台買えたわ」と言われた。またさんまの運転手時代に車をぶつけたり、駐車してる車を渋滞と勘違いしてさんまに指摘されたり、1年に何度も交通違反して警察に病院に行けと注意されたりあり得ないエピソードがある。また過去に運転中に他の車両と接触事故を起こして行政処分を受けて暫く運転自粛した事がある。

また海外スペインにいた時、地元の女性にモテたエピソードがあり、さんまもジミーの住んでるところに来た時、お前めちゃくちゃ有名やなと驚く。また夜の街でバーの女性と遊んでたエピソードがある。

しかし、テレビ番組の企画で自民党の衆参国会議員の名前を全員暗記することに成功するなど、意外な才能を持つ一面も見せている。


ちなみに既婚者である(マネージャーをしていた女性と1997年に結婚している)。


お笑い芸人から画家として…

「EXテレビ」(読売テレビ)の中で放送された芸能人の書いた作品をオークションする企画の中で、出品した芸能人の中で最も高い評価を獲得。その模様をかの岡本太郎がたまたま視聴しており、そこから交流が始まったのが画家としての転機となった。

1993年に初めて自身の個展を開催。主に動物などをテーマとしたシュールな画風と鮮やかな色彩感覚で画家として注目され、脚光を浴びた。

油彩絵具は匂いがきついため、水彩絵具を使って制作している。


裸の大将の山下清とよく比較されるが、彼とは違い芸風が天然なだけであって知的障害ではない。数々の失敗談や独特の言動などから「高機能広汎性発達障害ではないか(周囲の証言から学習障害の可能性が高い)」とも言われているが、公言はされていない。

むしろ、さんまのフリに条件反射で即座に反応するリアクションは芸人として優秀な才能を持っていると言えるであろう。

岡本太郎からは絵の才能を非常に高く評価されており、「君は画家になりなさい」と手紙を送ったほか、「紫の絵の具一本」を贈っている。何故それをくれたのかは今でもわからないが、紫色は絵画での使い方が難しい部類の色らしく、岡本なりの激励なのではと推測している。


1996年に尊敬する上岡龍太郎から絵を褒められたこともあり、タレント活動を引退し画家に転身。スペイン留学などを経て日本全国は疎か海外各国で個展を開くまでになる。その後、『ガキ使』など一部の番組に散発的に出演する以外はテレビから遠ざかっていたが、これは本人だけでなく家族からの申し出や大人の事情が考えられる。2016年ごろから再びタレント業を再開している(「筆は(折っていないが)"曲げている"」と発言。また、風俗に通いすぎて借金ができたとも発言した)。また芸人時代に売れっ子として活躍していた時期に多額のギャラを手にしたものの、風俗やギャンブルを始めそれらに散財した結果多額の借金を背負ってしまい、取り立てから逃げるためにキャンピングカーで夜逃げしたがどうにもならなくなり、その後所属事務所に泣きついて弁護士を通して借金を整理してもらったエピソードがあり、後輩芸人やファンにお金に関するトラブルには気をつけるように忠告している。


2020年にはさんまから「お笑いとか、人を楽しませるのに時給は関係ないやろ。考えたらあかん」と諭され、5年ぶりに画家活動を再開。


また徹子の部屋に出演した時に過去のエピソードを語る。


その他

概要

1964年1月1日生まれ。大阪府八尾市出身。

本名は大西 秀明(おおにし ひであき)。名前の由来は豊臣秀吉から「秀」と元日に産まれたことから「明けましておめでとう」の「明」を組み合わせたもの。

愛称は「ジミーちゃん」。


いじめられっ子→吉本の天然芸人→画家という奇跡的なスキルアップを成し遂げた男である。


子供の頃から勉強は苦手だったが運動能力が高く、野球に熱心に取り組んでいた。小学生の頃は桑田真澄らも所属したボーイズリーグの強豪「八尾ボーイズ」に所属したほか、高校もスポーツ推薦で強豪大阪商業大学堺高等学校に入学している。


一方で高校時代は深刻ないじめに遭い、ある時同級生に裸で線路に突き落とされ、電車を緊急停車させたという事件があった。このことで学校は停学、両親は多額の賠償金を借金してまで払う羽目になってしまったが、彼を陥れた同級生は未だに処分が下されていない。


高校在学中から担任教師のつてで吉本興業にアルバイトとして出入りするようになる。卒業後は正式に芸人として所属するようになった。


彼がお笑い芸人として知名度をあげたのは、明石家さんまの功績が大きい。

吉本興業に入った当初はさんまの勧めでぼんちおさむの弟子に入ったものの、放送禁止用語を叫ぶなどの問題行動を起こしたため仕事を干されそうになる。それをさんまが彼を運転手として雇うことで救い、テレビで使えるようになるまで育て上げた。これによりジミーはさんまを慕うようになり、つきまとうようになった逸話がある。

なお、「ジミー」の由来はさんまがテレビで見た野生のゴリラの名前から取ったもの。


また、萩本欽一が「あのボケを狙ってやってるなら彼はチャップリン以来の天才喜劇役者だ」と関心を示し、一度二人だけで会談をしたことがある。会談後、萩本は「天然だったね・・・」とこぼし、この一件から「天然ボケ」という造語が生まれたとされている。


学業成績は散々で、自動車免許を取るにしても本来ならば2週間で免許が取れる合宿制の自動車教習所に通ったにもかかわらず、免許を取るまで半年もかかったほど。さんまから「車がもう一台買えたわ」と言われた。またさんまの運転手時代に車をぶつけたり、駐車してる車を渋滞と勘違いしてさんまに指摘されたり、1年に何度も交通違反して警察に病院に行けと注意されたりあり得ないエピソードがある。また過去に運転中に他の車両と接触事故を起こして行政処分を受けて暫く運転自粛した事がある。

また海外スペインにいた時、地元の女性にモテたエピソードがあり、さんまもジミーの住んでるところに来た時、お前めちゃくちゃ有名やなと驚く。また夜の街でバーの女性と遊んでたエピソードがある。

しかし、テレビ番組の企画で自民党の衆参国会議員の名前を全員暗記することに成功するなど、意外な才能を持つ一面も見せている。


ちなみに既婚者である(マネージャーをしていた女性と1997年に結婚している)。


お笑い芸人から画家として…

「EXテレビ」(読売テレビ)の中で放送された芸能人の書いた作品をオークションする企画の中で、出品した芸能人の中で最も高い評価を獲得。その模様をかの岡本太郎がたまたま視聴しており、そこから交流が始まったのが画家としての転機となった。

1993年に初めて自身の個展を開催。主に動物などをテーマとしたシュールな画風と鮮やかな色彩感覚で画家として注目され、脚光を浴びた。

油彩絵具は匂いがきついため、水彩絵具を使って制作している。


裸の大将の山下清とよく比較されるが、彼とは違い芸風が天然なだけであって知的障害ではない。数々の失敗談や独特の言動などから「高機能広汎性発達障害ではないか(周囲の証言から学習障害の可能性が高い)」とも言われているが、公言はされていない。

むしろ、さんまのフリに条件反射で即座に反応するリアクションは芸人として優秀な才能を持っていると言えるであろう。

岡本太郎からは絵の才能を非常に高く評価されており、「君は画家になりなさい」と手紙を送ったほか、「紫の絵の具一本」を贈っている。何故それをくれたのかは今でもわからないが、紫色は絵画での使い方が難しい部類の色らしく、岡本なりの激励なのではと推測している。


1996年に尊敬する上岡龍太郎から絵を褒められたこともあり、タレント活動を引退し画家に転身。スペイン留学などを経て日本全国は疎か海外各国で個展を開くまでになる。その後、『ガキ使』など一部の番組に散発的に出演する以外はテレビから遠ざかっていたが、これは本人だけでなく家族からの申し出や大人の事情が考えられる。2016年ごろから再びタレント業を再開している(「筆は(折っていないが)"曲げている"」と発言。また、風俗に通いすぎて借金ができたとも発言した)。また芸人時代に売れっ子として活躍していた時期に多額のギャラを手にしたものの、風俗やギャンブルを始めそれらに散財した結果多額の借金を背負ってしまい、取り立てから逃げるためにキャンピングカーで夜逃げしたがどうにもならなくなり、その後所属事務所に泣きついて弁護士を通して借金を整理してもらったエピソードがあり、後輩芸人やファンにお金に関するトラブルには気をつけるように忠告している。


2020年にはさんまから「お笑いとか、人を楽しませるのに時給は関係ないやろ。考えたらあかん」と諭され、5年ぶりに画家活動を再開。


また徹子の部屋に出演した時に過去のエピソードを語る。


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