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概要

1997年11月16日マレーシアジョホールバルで行われたアジア第3代表決定戦の対イラン戦において2-2で迎えた延長戦で岡野雅行Vゴールを決め日本代表1998年フランスで行われたFIFAワールドカップの出場権を獲得した試合を指す。


詳細

アジア最終予選の状況

1994年のFIFAワールドカップを逃した日本代表は1996年のアジアカップでベスト8に留まったが、オーバーエイジを使わなかったU-23世代がアトランタオリンピックでオーバーエイジを使ったブラジル代表に勝利。改めてワールドカップ初出場に向けてアジア予選を戦うことになった。


アジアカップ以降に就任した加茂周監督のもと一次予選を無敗で通過した日本は最終予選B組の初戦でウズベキスタン相手に三浦知良の活躍で6点を奪い大勝したものの、アウェーのUAE相手にスコアレスドロー。さらにホームで迎えた韓国代表戦では先制するも守りに入ったところを突かれ逆転負けを喫する。この時点で韓国とは勝ち点5に広がり、自動で本大会出場となる1位通過が難しくなった。また、この試合での加茂監督の采配に疑問を持った日本サッカー協会は次の試合で進退を判断することを決めていた。そしてカザフスタン戦も先制するも後半ロスタイムに追いつかれるという4年前のトラウマを再現してしまい、ここで協会は加茂監督の更迭に踏み切った。


後任には岡田武史が就任するも最初のウズベキスタン戦は終盤のパワープレイでどうにかドローに持ち込む(世間は勝てなかったことに悲観したが、岡田自身は「もしかしたらいけるかもしれない」と思っていた)。しかし次のホーム・2位とのUAE戦でも引き分け、これにより次の試合で日本が負けてUAEが勝つと予選敗退という危機に陥ってしまう。この惨状に日本のサポーターはついに爆発し、試合終了後国立競技場の周辺で暴徒化し、選手バスにパイプ椅子が投げつけられるなどした。


次の相手はアウェーで本戦出場が決まった韓国。今の日本では無理と思われたが、相手の伝説的DF洪明甫が出場停止だったこともあり名波浩呂比須ワグナーの得点により2-0で勝利。さらにUAEがウズベキスタン相手に引き分けたことで2位に順位を上げた。そして最終戦のカザフスタン戦は代表復帰した中山雅史高木琢也の活躍により6-1で勝利し、2位で最終予選を終え第3代表決定戦への出場が決定した。


第3代表決定戦

第3代表決定戦の相手はイランに決定。当初はバーレーンの開催が有力視されたが、「あまりに遠すぎる」との日本側の主張が認められ、AFC本部があるマレーシアのジョホールバルでの開催(クアラルンプールは競技場が予約済みのため不可)となった。距離的には均等と思われる開催地であるが、実は日本からすればマレーシアの時差は日本が+1なのに対しイランは-4.5と時差的に有利とされ、さらにイランは直行便の取得に失敗し、テヘランドバイ香港クアラルンプール→ジョホールバルという遠回りで向かう羽目となった。さらにクアラルンプールでも乗り継ぎに失敗して6時間待機となるなど、選手は移動だけで疲労困憊してしまった。これに対しイランはエースのアジジが車椅子で姿を見せて欠場を匂わせたが、日本側も「アジジが欠場濃厚」と騙されたフリをするなど情報戦を展開していた。


そして試合が始まり、スタジアムは殆ど日本のサポーターで埋め尽くされた中前半に中山がゴールを決めて前半を1-0で折り返す。しかし後半早々やはり怪我のフリをしていただけのアジジに同点にされると、69分には当時アジアNo1ストライカーと称されたアリ・ダエイに逆転ゴールを決められ逆に窮地に陥ってしまう。この状況に岡田監督は調子が上がらない三浦と北澤豪に替えて城彰二と呂比須を投入。すると直後に城がヘディングで同点ゴールを決めて追いつき、試合はそのまま延長戦となった。


そして歓喜へ

当時の延長戦はVゴール方式で決めればそこで試合終了の中、岡田監督は最終兵器として岡野雅行を投入。岡野は縦横無尽にピッチを駆け回るが、緊張のあまりGKとの1対1のどフリーの状態でパスをしようとして相手に奪われるなど日本中が悲鳴を挙げるプレーを連発。岡野にパスを送り続けた中田英寿が頭を抱え、岡田監督も岡野に対して「岡野!(お前自身で)行けよ!!」とエキサイト。この状況に岡野は後日「このまま負けたら生きていけないと思った」と述べるなど、悲壮感を漂わせていた。


そうこうしているうちに延長戦も終了しPK戦に突入しようとする中、中田がボールを奪い相手ゴールめがけてシュートを放つ。相手GKがはじき、ほぼ正面に転がるボールに1人の選手が駆け寄ってきた。


岡野雅行である。


岡野は「これを外したら日本に帰れないと思った」と懐柔するスライデイングシュートを放ち、ボールはゴールに吸い込まれた。この瞬間日本はワールドカップ本大会出場を果たしたのであった。


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ドーハの悲劇 ドーハの歓喜

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