曖昧さ回避
1.実在のトレド
スペインのカスティーリャ=ラ・マンチャ州の州都。
タホ川に囲まれた都市で、歴史的価値の高い建築物や絵などが至る所で見られる博物館のような街並みであり、観光地として人気が高い。
旧市街は世界遺産に登録されている。
また、この地を拠点としてスペイン中部にあたる地域に領土を持った「トレド王国という実際の国家」が、1085年まで存在していた。
かつてイベリア半島に多くあったイスラム系国家であり、カスティーリャ王国によって征服されて消滅した(いわゆるレコンキスタ(国土回復運動)の一環)。
この他、トレドという地名はアメリカやフィリピン、コロンビアの都市名などにも存在する。
2.架空のトレド
「トレドから来た男」という一種の都市伝説で語られている架空の国名。
以下はその都市伝説の内容を簡略化したものである。
1957年、羽田空港に降り立った一人の外国人男性が入国手続きの際にパスポートを提出するも、そこには「トレド」というこの世に存在しない国名が書かれていた。
当然偽装パスポートとして入国拒否されるも、男性はれっきとした実在する国だと主張し、更に証拠として免許証や通貨も提示する。
しかし、その場に居合わせた誰もがトレドという国を知らず、男性が滞在する予定だった取引先の会社とも証言の辻褄が合わず、事態は混乱を極める。
ひとまず男性は空港付近のホテルに宿泊させられるも、翌日には彼が存在していた痕跡含めて姿が消えていた…というお話。
このためパラレルワールド、異なる世界線から来たのではないかとオカルト・SF的な文脈で取り上げられることがある。
実際に起きた話なのか、本当に起きたとしたのなら単なるパスポート偽装やスパイによる陽動ではないのか、等様々な考察がなされているが真相は不明。
存在しない国「トレド」の位置
入管が地図を持ってきて「トレドがどこにあるか指して欲しい」と言うと、男は地図を一瞥するなり「なんだこれは。この地図にはトレドが載っていないじゃないか!」と叫ぶ。続いて男はアンドラ公国の場所を指し、「アンドラという国は知らない、ここにトレドがあるはずだ」と言う。
男の主張するトレド王国は小さいが1000年の歴史を持つ国家で、988年設立のアンドラは正にこの条件に合致する国家である。入管も男の言う「トレド」とはアンドラのことだと考えたものの、男はあくまで「トレドはトレド。アンドラでは無い」と主張した。
というパターンのストーリーが組み込まれることが多く、トレドの位置はアンドラであるという認識が多くの場合で成されている。
モデルとされる事件
実はこの話にはモデルとされる話があることが近年判明している。
1960年。日本で自称ジョン・アレン・カッチャー・ジーグラスと名乗る白人男性が詐欺罪で逮捕され、後に起訴された。男は前年に韓国人の内縁の妻と共に日本に入国。偽造小切手などを使用し複数の銀行やトラベラーズ・チェックから合計35万円を引き出した罪を犯したとされる。
通常このような詐欺事件は警視庁刑事部捜査第三課の所管となるのが自然であるが、逮捕後ジーグラスは自らを「ネグシ・ハベシ国の移動大使で、アメリカの諜報機関員だ」「外交特権の侵害だから、すぐに釈放しろ」などと主張、警視庁公安部外事課が代わってこの男を取り調べることとなる。
「ネグシ・ハベシ・トラウプ・ツラパ国」などと聞いたことも無い国名を主張するのでそれはどこかと地図を指し示すよう言うと、ジーグラスはエチオピアの南辺りを指したという。
パスポートには複数の国家に入国したという証明があったとされ、その大きさは週刊誌ほどもあったという。
結局これはジーグラスの作ったデタラメの偽造パスポートであったが、台湾は台北(当時日本は中華民国すなわち台湾の統治国家と正式な国交を結んでいた)にある日本大使館が査証(ビザ)をこの男の偽造パスポートに発行、その他にも東南アジア各国の日本公館スタンプが押されており、政府内で問題になったという。
ジーグラスはアラブ連合(当時エジプトとシリアが合併しておりその国家名)のナセル大統領の元で極秘任務のために日本人義勇兵を募るために来日したとか、その他にも複数の国家での様々な経歴を述べたものの、その全てがデタラメの嘘八百の経歴であると認定されている。
ジーグラスの起訴にあたって国選弁護人がつけられたが、弁護人もジーグラスが一体どこの誰か分からないまま任務に当たったというから、苦労がしのばれる。
地裁判決では懲役1年の実刑が下されるも、隠し持っていたガラス片で自殺を図るという事件を発生させる。しかし自殺は失敗に終わり、全治10日で済んだ。更に控訴審では、上記の自殺未遂で判決朗読が途中で終わったことを理由に「理由朗読の終わらない判決は無効」と主張、一審差戻を受ける。
結局全ての裁判が終結した頃には拘置所において懲役一年に相当する未決拘留期間を超過しており、一日も服役する必要が無いことになった。
拘留期間が終わったジーグラスは「国外退去」とされたが、そもそもどこの国出身なのか未だによく分からないがために、入国時の最終寄港地であった香港に送り返されることに。また裁判中に当時の警視総監に対して横領罪と損害賠償を求めるなどの無茶苦茶もやり、警察関係者もほとほとジーグラスの扱いに疲れ果てたのであろう、彼の事件を担当した一人であった佐々淳行(あさま山荘事件などにも関わった危機管理のスペシャリスト)曰くその後の彼の行方は「知らない」という。
なお、男の話す言語やそれを示す書き言葉は殆どの人間が認知不可能であったためこれもデタラメの言語と思われたが、調べによればそれはアルジェリア・ニジェール・マリなどの北アフリカ中央内陸部周辺に分布するベルベル人系民族「トゥアレグ族」(Tuared)の扱う言語だったとされる。
またジーグラスにはアルジェリアの民族組織との繋がりもあったと言われており、おそらくこの民族組織の一員として、実際に国家転覆活動などを企む人間だったのではないかと推測される。
しかしながら結局男の正確な出身地がどこか明らかにされることは無かったという。明らかにした所で、(仮に民族組織の一員であるならば)男はそこの正式な政府への帰属を拒んだ可能性も高い。
事件が都市伝説に変容するまでの経過
一見すると「謎の男」「時期が近い」「存在しない国家のパスポート」という点くらいしか一致性の無い2つの話。
何故この事件が上述の都市伝説に繋がったのかを解説する。
まず、都市伝説のようなオカルトチックな話になったのは、この事件が海外でも取り上げられたからである。国籍不明の不法入国者であることに加え、ジーグラスが法廷で自殺未遂を起こしたこともこの事件が取り上げられる理由の一つとなった。当然海外のオカルト系の人間の中にもこの事件に興味を持つものがおり、実際にフランスのオカルトの大家である作家によってこの事件が認知され取り上げられたという。
オカルト的な面白さが伝聞の中で優先されれば、男が追放されてその行方を誰も知らない(別に知る気も無い)という話が、「男が消えた」という話に変化するのも無理からぬ話であろう。
しかし、何度も伝聞が繰り返される内に事件の内容はざっくりとしか伝わらなくなっていったあげく、更にトゥアレグ族に関する綴りが「Tuared」からいつの間にか誤記されて「Taured」になってしまったという。これは日本語で無理矢理読めば「タウレッド」とでも呼ぶべきであろうか。
世界各地を巡って日本にこの話が戻ってきた頃には、都市伝説に近いような「男は謎の国『Taured』出身を名乗り、監視されて拘束されるも拘束先から忽然と姿を消してしまった」という荒唐無稽な話に変化してしまっていたのである。
この辺りの経過を詳しくまとめてくれている方がいらっしゃるので、是非参考にして欲しい→リンク先
ここを見る限り、「トレド」という部分以外の話の骨子は、概ね海外で既に整えられたと見てよいだろう。
さて、最後に「Taured」が「トレド」になった理由を考察する。
当然「タウレッド」などという国は日本人(に限らない)が知る由も無く、しかも言いにくく感じるであろう。そもそも正式な訳も無い訳であり、聞き覚えのある「トレド」に変化するのも無理の無い話である。
1項で示した実在のトレドはアンドラの位置には無いものの、現在のスペインという比較的近い場所に位置する。一方でアンドラはスペインとフランスに挟まれた国家であり、その国家元首はフランスの元首(現在は大統領)とスペインのウルヘル司教が共同で務めるという少し変わった国家である。
同国の公用語はカタルーニャ語であるが、フランス語もスペイン語も広く通用する、まさしく仏西両国の折衷のような環境にある。
なお、ジーグラスにも、初めにこの話をオカルト化させたフランス人作家にも、そしてアルジェリアやトゥアレグ族にも、フランスという国家は密接に関わりの有る国である。アルジェリア・マリ・ニジェールは何れもフランスの植民地として取り込まれ、現在でもその影響が強い。
実際のトレドと「都市伝説上のトレド王国」には地図上のズレが存在するが、そうした要素からフランス寄りに引っ張られて「架空国家」の位置は自然と決められていったのかもしれない。
また実際のトレド王国が滅亡する丁度その頃が、都市伝説のトレド王国の建国時期(=アンドラの建国時期)に重なる。
加えて実際のトレド王国は、トゥアレグ族の信ずるイスラム教国家であり、多様な文化の入り混じる国でもあった。
こうした要素もあり、「トレド」が都市伝説の舞台として固着する遠因となったと考えられ、そして上述した都市伝説が完成したのだと考えられる。
ジーグラスが何者であったか、そしてどこに行ったか誰も知らないのは、当時の警察が「知っても無意味だ」と考えたからである。
しかし背景を察するに、正式な国家を持たない民族に生まれ、アイデンティティを模索する内に、当時未だ残っていた帝国主義的なものに反抗するつもりで嘘で身を塗り固めてでも世界各国を練り歩いていた一人の男がいた……のかもしれない。
あるいは、嘘で身を固めて自分の存在を証明しないと消え入るかもしれないような儚い状態に立たされていた男だったのかもしれない。
……などと考えると、それは都市伝説を抜きにしても浪漫のある物語なのではないだろうか。