CV:池田昌子
演:ハルカ(GALAXY OPERA)、木下春香/伊波杏樹(さよならメーテル)、神田沙也加→花總まり(THE MUSICAL)
銀河鉄道999におけるメーテル
999号の乗車を望む星野鉄郎に無期限パスを与えた旅の同行者。
冷静で理知的な美女だが、有事の対処や星々での事情に精通しており、危機的状況では的確に鉄郎をフォローするなど、経験豊富で旅慣れた面がそこかしこで見受けられ謎めいた部分が多い。さらに物語が進行するにつれて「宇宙一の美貌、大型コンピューターに匹敵する頭脳、エメラルダスと対等に渡り合える戦闘能力を有するスーパーレディ」の域に到達している。原作とTV版では謎の声の主がメーテルを原子分解することも瀕死の状態を回復することもできる描写があり、原作では「これが終わったら死んでもいいですか」と零すシーンがあることから、メーテル自身では自分の意志で死ぬこともできず、生かすも殺すも声の主次第であったことがうかがえる。
その正体は機械帝国の女王プロメシュームと彼女が常に身に付けていたペンダントの声の主ドクター・バンの娘であることが物語終盤で判明する。
銀河系から強い意思を持つ若者たちを機械化惑星の部品とすべく連れ帰るという母の命に従い、その裏では父と結託して機械化惑星の崩壊を目的とした多くの同志をその中心部へ送り込むという計画に基づく行動でもあった。
漫画版では鉄郎との別れの際に「今までカモフラージュ・ランジェリーで偽装していた今の体を明かした」のだが、鉄郎はメーテルが何者であろうと受け入れ信頼を持って共に旅をしてきたため、それを見ようとは決してしなかった。無論、彼女は鉄郎のその想いと優しさを受け入れた。
1990年代に入ると、松本零士スペースオペラの世界観統合の流れの中で「エメラルダスが双子の姉」という設定が追加された。これにより「メーテルはプロメシュームの一人娘」という設定も無くなった。もっともプロメシュームは「エメラルダスは母親を捨てて勝手に出て行ったので自分の娘はメーテルの一人だけだ」というつもりでいたのかもしれないが。
メーテル自身は「永遠の時の輪を旅し続ける存在」とされ、機械帝国を滅ぼして鉄郎と別れても自身の旅が終わることはなかったが、どのような経緯でそのような存在になったのか、最後はどこに行き着くのかは明らかにされておらず、そのまま原作者が逝去したことで永遠の謎となってしまった。原作エターナル編では万物の理論を超越する力を発揮したり宇宙の終焉を知っていたり自身が宇宙空間と一体化しているような描写があり、メーテルが宇宙そのもののアバターなのではと思わせる部分がある。
メディア毎の作品性やターゲット層の違いにより、原作(漫画版)・TV版・劇場版でメーテルの性質はやや異なるものとなっている。大雑把に書くと原作は「気の強い姐さん」、TV版は「淑やかな女性」、劇場版は「儚き乙女」である。
登場から長い年月がたっても『年上ヒロインの究極形』として語られることが多く、現在でも数多くのファンを擁している。
外見
彼女の服装といえば、黒い帽子に黒いコートという全身黒づくめの服装だが、これは自らが連れて行きネジにしていった少年たちに対する喪服であるとされている。
そのため、幼い頃を描いた外伝作品では白(「メーテルレジェンド」)→深紅(「宇宙交響曲メーテル」)→青(「コスモウォーリアー零」)というように徐々に色が濃く、暗くなっていく様子が描かれている。逆に言えば違うのは色だけで服装は一貫している。
例外的に原作第1話では黒のコートを追い剥ぎに取られた時に予備の白い外套を着ていた。
- メーテルレジェンド時代の白メーテル
いつもの服装のみならずフォーマルドレスやネグリジェ、水着、猛暑地用の特殊スーツなど色々な服装を持っているが、その全てが黒である。下着も上下ともに黒。ただしTV版の惑星こうもりの回では空き巣に荒らされたトランクの中に薄紫色のブラジャーとスリップが入っていたのが確認できる。なお「コートを脱ぐと下は裸」という描写は子供向けの作品で女性の脱衣シーンはNGという制約からの苦肉の策だったらしい。
pixivにおいてはやはり圧倒的にいつもの黒い服を身につけた絵が多く、本編に登場する服装では白メーテルがごくわずかあるだけで、深紅時代や青時代のものはほとんどない状態である。
あとメーテルと言えばトランクを持ち歩いている姿が象徴的であるが、そのトランクの中身は鉄郎もはっきりと見たことがなく謎とされている。開けると普通に荷物が入っていることもあれば、開けることでメーテルが要人と分かる(おそらくプロメシューム絡みの)謎の物が見えてしまう場合もある。原作「フライング・クロ」のエピソードでは「トランクの鍵を1/3右に回して3回押して上げる」ことで謎の物が開いており、おそらくは中が多重構造になっていて、開け方によってどこが開くのかが変わるようになっていると思われる。なお荷物にも上に布が被せてあるので、覗き見しても中身はわからないようになっている。
非常に重要なトランクの筈であるが、物取りに荒らされて中身が散乱する事態も頻繁に発生しており、もしかしたら荷物自体がカモフラージュなのかもしれない。
劇場版第1作・第2作のメーテル
一般に鉄郎の母・星野加奈江の生き写しというイメージが浸透しているが、実はこれは劇場版第1作での設定で、原作・TV版には存在しない。逆に「本当の姿をカモフラージュしている」のは原作・TV版のみの設定である。劇場版の体は「歳を取ったら母親が用意した新しい体に入れ替わる」設定で、今のメーテルの体も「星野加奈江をベースに宇宙一美しい姿に仕立てた母親特注の体」である。
また第2作では出身が惑星ラーメタルであることも判明した。数万年に近い寿命を持つラーメタル人だが、その肉体は冥王星の氷の下に封印されているとみられる。
この2作品ではメーテルの勇猛さが薄れ、代わりに儚さが強調されている。メーテル自身が武闘派なところを見せたのはロボットポリスに閃光弾のイヤリングを投げつけたくらいで、冥王星のシャドウもTV版では容赦なく〆ていたのが劇場版では諭すだけとなっている。ファウストに銃を向けられた時も武器を手にすることはなく、武器が扱えるのかすら不明である。
はっきり言って鉄郎と二人揃って精神年齢が幼い。10歳で悟りの境地に至った原作や大人に人生観を説いているTV版の鉄郎とで比較するのは論外だが、メーテルもシリーズが進むにつれて顔立ちが幼くなっている。この2作では鉄郎とメーテルの恋愛要素が強調されているが、鉄郎の感情が容姿によってリードされている上に、メーテルの制止虚しくメーテルを殺している。作品を未視聴の人には何を言ってるのかわからねーと思うが気になったら作品を見るか後述の機械化母星メーテルを参照のこと。
ともかく第2作でのエメラルダスの自身を下げまくってしまったあの言葉の裏にはそういう意味があるのだろう。とはいうものの、その後を描いた漫画版『アルティメットジャーニー』では「もう自由に生きて構わない、愛する人と幸せになりなさい!」と見事に手のひら返ししているのだが。
なお劇場版ではメーテルが機械帝国の新女王となった直後に惑星大アンドロメダが崩壊しているが、それでも政権自体が消滅したわけではないのでメーテルの女王の肩書きは残ったままであるる。小説版および漫画版の『アルティメットジャーニー』はこの設定を引き継ぎ、機械帝国はエメラルダスの宿命星である惑星エスメラルダで生き延び、メーテルは「メーテル・プロメシューム3世」を名乗っている。
分身体
原作や劇場版1作目では魂や人格を共有した集合精神体かつエネルギー体や巨大な生首の分身が登場した。
機械化母星メーテル
別名は惑星メーテル。劇場版1作目に登場した「機械の体をタダでくれる星」でプロメシュームが当惑星に滞在しているものの、機械帝国の首都ではない。
惑星の核であるエネルギー体はメーテルと人格を共有しており、集合精神の関係にあるがメーテルとは別の個性を持っているために自身を崩壊させようとしたメーテルを制止している。
ちなみに母である当作のプロメシュームも機械化人体と人格を共有したエネルギー体を有しており、エネルギー体のメーテルと機械化人のプロメシュームが死んだ後の劇場版2作目でプロメシュームは「私達はお互いに半分ずつ失った」と述べている。
原作の分身
原作でのメーテルの分身は、巨大な機械の生首であるプロメシュームの後頭部にヤヌスの如くついているメーテルの顔部分である。
メーテルとは人格、プロメシュームとは体を共有しているために、プロメシュームには後頭部メーテルの分身を中継点として、メーテルの考えや行動はメーテルが心を閉ざさない限りは筒抜けである。…考えようによってはメーテルはプロメシュームの分身ともいえる存在である。
一方で劇場版とは対照的にメーテルと分身体とは人格も個性も同一であるためにプロメシュームへの裏切りやドクター・バンのペンダントを投げ込む『自殺』行為にもリアクションをせず、母のプロメシュームとともに骨のような顔になって機能停止する。…こちらのメーテルは生きながら死を体験したのである。
アルティメットジャーニー
前作となる劇場版と同様に憂いを帯びた落ち着いた雰囲気…だったのが、鉄郎と合流すると鉄郎と一緒の場合に限り陰りの雰囲気が消えて喜怒哀楽を露わにする感情豊かなキャラクターになった。特に劇場版では見られなかったニコニコ顔やデレの表情を見せるようになり池田さんの声のイメージは鳴りを潜めた。『宇宙交響詩メーテル』時代の雰囲気に近くなったと言えなくもないが無理して若作りしてるとか言ってはいけない。
なお鉄郎が一緒じゃないと素のメーテルに戻る。
また、以下のような茶目っ気ある描写が登場するようにもなった。
地球からの移民が住む惑星「大地球」で銭湯に入浴中に「パスも含めて服と荷物が盗まれてしまった」として、急場しのぎで地元のラーメン屋で鉄郎と一緒に住み込みで働くことになった際には、
銭湯で貰った「湯」の字柄の浴衣や、長袖シャツとジーパンの上に花柄のエプロンを羽織り長髪をリボンで束ねるというラフな格好を普通に着こなし上機嫌に鼻歌まで歌うほど堪能しまくっていた。
盗まれたものが出発当日の朝に都合よく見つかったり、パスを盗まれたにしてはメーテルが全く動じていない(本エピソードの元ネタとなる原作「大四畳半惑星の幻想」では死にそうな顔で奔走していた)ことから、地球復活に逸る鉄郎を落ち着かせるため、そして自身がつきなみな家庭の幸せを味わうために、彼女が服と荷物を隠した自作自演なのではないかとも考えられる(作中で鉄郎がそう推測している)。これを裏付ける描写として、駅を出てタクシーを捕まえたときに何故か行き先を宿泊先ではなく「少し街並みを見せて」と告げて、ラーメン屋の「急募」の張り紙を見つけて急に「ここから一番近い入浴施設に行ってくれ」と言っている。また出発当日の朝に銭湯の女将が見つかった荷物を届けてくれていることから、メーテルが頼んで荷物を預かってもらったことが窺える。そもそも筋書きが無ければメーテルが「大変よ鉄郎!」とバスタオル一枚巻いただけで男湯に乱入はしないだろう。
なお、看板娘と化したメーテル目当てで押し寄せた膨大な客を要領よく捌きまくってる際「母がラーメン屋の娘だったので」と語っていたが、これは事実だったりする。
彼女の母親を取り扱った別作品では、地球人として潜伏していた際にラーメン屋の老夫婦に育てられており、看板娘でもあったことが語られている。案外、彼女も思い出の味として地球のラーメンを娘たちに振る舞ったりしていたのだろうか?
作中では三日間だけお世話になったラーメン屋の老夫婦と別れた後、メーテルがかなり尾を引いて涙を流していたが、これは母親にもこんな頃があったことを実感したことで感極まったのかもしれない。
他にも宿泊先のホテルで一緒にお風呂をお誘いしたら「子供扱いするなよ!」と拒否られてしまい「子供扱いなんてしてないのに…」とひとりごちたり、ラインの黄金の指輪を左手を差し出して「薬指に着けて」とおねだりするなど恋する乙女のような振る舞いも。ともかく想い人の鉄郎が凜々しく頼りがいのある好青年に成長したのもあって何か別キャラになりつつある様相である。言ってしまえば鉄郎にデレデレで、鉄郎がいないと何もできない人に劣化してしまっている。
なお茶目っ気たっぷりな言動とは裏腹にパワー自体は「宇宙を破壊するに匹敵するエネルギーを秘めている」までパワーアップしており、現に自爆したエネルギーで宇宙に穴を空けている。その自爆した理由も鉄郎への愛を貫くためで、宇宙に穴を空けて別宇宙の敵を呼び寄せて太陽系を吹っ飛ばされる大戦争を巻き起こした挙げ句に、当の本人は素粒子レベルで宇宙に散り散りになって、鉄郎の呼びかけ以外は双子の姉のエメラルダスでさえ拒絶して引きこもってしまうのが果たして茶目っ気と言えるのかは微妙なところ。その尻拭いを全て鉄郎が引っ被り、そんな鉄郎の男気にメーテルがすっかり出来上がっているのが本作である。
鉄郎との関係性
原作・TV版は鉄郎の年齢が10歳と幼く、メーテルも母性的な面が強調されていることから、鉄郎のお目付役とも姉とも恋人とも取れる立ち位置となっているが、いずれもラストで鉄郎を自分から卒業させて、それっきりとなっている。
TV版では謎の声に「どうしても鉄郎を連れて行かなければ駄目ですか?」と伺うシーンが何度かあり、鉄郎をアンドロメダに連れて行きたくないという思いが強くなっている。「これからの星」において二人がパスを紛失したまま999の発車時刻が迫ると、メーテルが鉄郎に「このままパスが見つからなかったら、この星で一緒に暮らさないか」と言い出してくるが、それもその表れと思われる。
裸を見られることについては互いに抵抗感がなく温泉も普通に一緒に入っている。もっともこれは鉄郎が子供だからという面が大きいと思われるが。
劇場版は鉄郎の年齢が15歳に引き上げられ、メーテルも「娘」の面が強調されていることから、鉄郎とは旅のパートナーを経て相思相愛の間柄に発展するが、第1作は「元の体に戻る」の理由で、第2作はエメラルダスの忠告を聞き入れる形で、第2作のその後を描いた『アルティメットジャーニー』は新女王の責務を全うするために、いずれも鉄郎と決別する選択を取っている。
…が、距離を置くほどに鉄郎への想いが強まったか、第2作では本丸に近づくと「次の駅で降りて、どこかの星で死ぬまで一緒に暮らそう」と懐柔策に走り、アルティメットジャーニーに至っては自身が囚われの身となり鉄郎との再会が絶望的になってしまうと「鉄郎が呼びに来てくれたら再構成する」をトリガーに「宇宙に穴を空けるエネルギーを放出して自爆する」という大暴走を起こし、再会を果たした後は鉄郎にベッタリの乙女メーテルに豹変してしまっている。
裸のお付き合いについては乙女メーテルのお誘いを鉄郎が恥ずかしがって拒絶している状況。なおこの乙女メーテルは鉄郎を「子供扱いなんてしていない」と(心なしか顔を赤くして)明言している。
原作アンドロメダ編の続編となるエターナル編では、メーテルが「私は誓う、時の輪を巡る旅はこれで最後にしたいと」「儚く短い命でもいい、私は私に還る」「鉄郎はいつか光も時間も追い越して走る時が来る」「私のことを全部お話ししてあげる。鉄郎、あなたにはね!」などと語っており、もしかしたらメーテルはこの旅で鉄郎を後継者にして自身は引退しようと考えているのかもしれない。
余談
松本零士の親戚にかつてメーテルによく似た親戚がいたという。この女性はメーテルのモデルではなく、松本が後になって菩提寺にあった写真で知ったらしく血縁関係はないもののフランス系のクォーターの女性だったという。なお、この女性は松本の生誕年にこの世を去っており因縁めいたものを感じたのだとか。
後に松本零士本人の口からかぐや姫の子孫であることが明かされた。これは「かぐや姫も歴代の1000年女王の一人」という1000年女王の設定にもリンクする。
原作漫画ではメーテルもラーメンライスを食するシーンが登場する。その食べ方は、ラーメンは丼に顔を近づけてズルズルさせずに食べ、ライスは盛り飯のてっぺんを箸でちょこんと摘まんで口に運んでいる。
パロネタで度々登場する「私はメーテル、○○の女」の言い回しは、実はオリジナルでは原作漫画、TVアニメ、劇場版アニメを通して一度も出てこない。近い台詞としては劇場版『さよなら銀河鉄道999』での「私はメーテル。鉄郎、999に乗りなさい」「私は青春の幻影、若者にしか見えない時の流れの中を旅する女」があり、これらがごっちゃになったものと考えられる。
『新幹線変形ロボ_シンカリオンZ_THE_ANIMATION』
第20話の最後のシーンにおいて、竜飛崎で石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」を歌った(厳密にはBGMとして流れたほうが正しいか?)ことで視聴者を混乱させ、Twitterのトレンドにランクインした。なお、このシーンのためだけにエンディングクレジットには東映アニメーションがクレジットされており、そこから何かしらの展開があるのでは……と若干予想ができる中での、メーテル登場となったのである(その後の次回予告ではテレビでは2度目のエヴァコラボの予告が流れた)。
2021年10月1日、彼女が新たなシンカリオン運転士であることが判明する。しかも、正式な銀河鉄道999とのコラボ枠としての登場だった。
以降の詳細は月野メーテルを参照のこと。
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シンカリオンに登場したオマージュキャラクター...だがこっちは正真正銘の小学生である。
外見が大体一緒。十中八九メーテルのオマージュと考えられる。
同上。その後公式でもパロディされた。
ただし中身としては真逆の存在である。