概要
アメリカ合衆国・フロリダ州出身。2003年のMLBドラフトでニューヨーク・メッツから1位(全体12位)指名を受けて入団。
2006年にメジャー初昇格を果たすと、この年は56試合に出場。2007年は後半以降メジャーに定着、打率.276の成績を残した。
2008年からはワシントン・ナショナルズでプレー。この年は138試合に出場して打率.268、14本塁打、61打点の成績をマーク。
2009年途中、ピッツバーグ・パイレーツへ移籍。2010年オフにFAとなり、翌2011年はシカゴ・ホワイトソックスへ移籍するも、メジャーでは2試合出場に終わった。
2012年からは東京ヤクルトスワローズでプレー。背番号は飯田哲也から譲ってもらう形で「85」となった。序盤は目立った活躍は出来なかったものの、1番を任されるようになってから調子を上げた。終盤に畠山和洋が離脱すると4番も任されるようになった。この年は打率.300、21本塁打、65打点という好成績を記録している。
2015年にヤクルトを退団し、アメリカの独立リーグ「アトランティックリーグ」の「ランカスター・バーンストーマーズ」でプレー。故郷・フロリダ州で野球塾を2校運営している。
人物
- 父親も兄もプロ野球選手という家系で育ち、本人も高校卒業後2003年にニューヨーク・メッツに入団するが、2006年にメジャー初出場を果たすまでは苦難の道であった。
- メジャー時代は「リーグを代表する5ツールプレイヤーにも成り得る」と嘱望されたほどの選手。だが素行に問題があり、さまざまな問題を起こしていた。日本球界移籍後は一応落ち着いていた。
- ヤクルトでは、顔が出川哲朗に似ているためか、「てっちゃん」というニックネームで呼ばれていた。出川本人も「ヤクルトファンなので、メチャうれしいです。問題児なところもボクに似ているので、がんばってほしい」と彼にコメントを寄せていた。またウラディミール・バレンティンと仲が良く、ヒーローインタビューではバレンティンからパイを投げつけられたこともあった。