ヴェノナ文書
べのなぶんしょ
1995年7月11日に、アメリカ合衆国の国家安全保障局(NSA)、連邦捜査局(FBI)、中央情報局(CIA)が、情報公開法に基づいて一斉公開した、1940年から1944年にかけソビエト連邦(ソ連)が発信していた暗号化された通信を、アメリカ陸軍の陸軍保安局( 現:国家安全保障局 )が密かに傍受し、解読したとされる一連の文書を公開した。
それらの文書は諜報機関であるアメリカのNSAとイギリス情報部が協力したプロジェクト『ヴェノナ作戦(VENONA)』により解読されたものであった。この一連の文書をこのように呼び「ベノナ文書」とも呼ばれる。
VENONA( 日本語の場合、ベノナともヴェノナとも )という言葉は1943年から1980年にかけて行われたソ連の暗号解読プロジェクトの名称であり、名称自体には特に意味はないといわれる。
当時ソ連が使用していた暗号は「乱数を鍵として文書を数字に変換する」というものであり、この方式はきちんと用いれば解読は不可能な形式である。
ところが、一部の関係者が乱数ではなく決まった数字をカギとしていたらしく、ここを突破口として一部の文書の解読が可能となった。さらに、なぜか同じ形式で別のカギを用いた暗号の二種類を送信するという不可解なことを行っており、これも解析を手助けした。
このため、一部の暗号は1944年の時点で一部解読可能となっている。
また、暗号表がフィンランドを経由して入手( この経路はフィンランドの将校経由およびドイツ経由のものが存在した )したことも、解読のきっかけとなったとされる。
さらに第二次世界大戦後も解析、特にKGBの暗号は継続された。
ソ連自体もこの暗号は解読されつつあることはスパイを通して気づいていたが、スパイの利用価値を高めるためしばらくは変更なしに使い続けたとされる。
また、1950年代中盤からは軍関連のスパイの暗号も解読された。
理由は不明であるが、おそらくは暗号の解読による情報の収集が必要でなくなったと思われる1980年に、このプロジェクトは終了した。
これらの暗号により解読された文書からは以下のことが発覚している。
- アメリカ合衆国およびイギリスの政府内部にスパイのネットワークが存在
- 科学者がスパイとなり、原爆などの研究情報が漏洩していた
- さらに、各分野においてもKGBやソ連軍のエージェントが存在していることが明らかとなった
ただし、ソ連自体も暗号が漏洩していることに気づいていたため、発覚以降はわざと偽の情報を流すという工作等を行った可能性が否定できない。
これらの文書はソ連崩壊後の1995年からその一部が公開され始めた( 中身は原爆研究やマンハッタン計画へのソビエトのスパイに関する文書などである )。
1940年から1944年にかけて発信され、解読された文書は先にも述べた通り、一部が公開されている。
これらの文書をソースとして「当時のアメリカはコミンテルン( の息がかかったスパイ )の言いなりになってまともな判断ができなかった」、「第二次世界大戦自体がコミンテルンが仕向けたことである」、「日本国自体もコミンテルンがいろいろかかわったため、現代のような状況となっている」という結論を出す場合が存在する。
ところが、コミンテルン自体は大祖国戦争の時点で開店休業状態となっており、1943年に解散していること、またこの推測は「仮定に仮定を重ねる」偽史と同様の手法をとっているため、それらの結論は現状では典型的なコミンテルン陰謀論としての評価の域を出ていない。
また、この文書自体を怪文書、すなわち発行者不詳で出回る事実上の匿名の文書、とみなす場合が存在するが、1940年の時点では暗号は破られておらず、アメリカ合衆国およびイギリスが故意に虚偽の内容を発表していない限りはこの文書自体を陰謀論とするということは別種の陰謀論、すなわちこの文書はアメリカ自体がソ連を過剰に悪者とすることを目的とし、内容は虚偽なものに過ぎず、プロパガンダの一種であるというもの、の信奉者の可能性が否定できない。