伊集院茂夫による穴吊り
おもしろはんぶんでしょうねんをしょうがいしゃにしたちんぴらどもをくそのぬまにしずめる
『法によって守られておきながら、その意義を理解せず、のうのうと生きるとは』
「当時少年だったなどこの私には一切通じない。さあ、断罪の時間だ」
『更生しなかったことを後悔させてやろう…… 地獄の苦しみの中でな』
「人道外れた外道共を喰う……地獄の鬼だよ」
「その格好で何ができる、下衆め」
「無実の人間を障害者にして……チャラなんて概念はねぇんだよクソガキ」
「テメェらは生きているだけで害悪だ…… 流川! やるぞ!」
「決まっているだろう。悪い奴は、地獄に堕ちるんだ」
江戸時代に日本の長崎でキリスト教の信者(キリシタン)を弾圧する目的で行われた拷問。
罪人を逆さ吊りにした状態で頭を汚物の入った穴に入れるという、当時としては最も過酷と言われていた拷問である。さらに、罪人のこめかみに錐で小さな穴を開けて少しずつ血が流れ出す処置を加えることにより、本来なら頭に血がたまって短時間で死亡することを防止し、拷問の苦痛の時間を長引かせるのも残虐な特徴である(当時の記録では受刑者が死亡するまでに4日かかった事例もあったとされる)。
ただし、これはキリシタンを棄教させるための猶予を与える目的もあり、拷問にかけられたキリシタンは命がある間に棄教の意志を示せば助命された。だが、キリシタンにとっては棄教は生き恥であり、彼らは棄教すれば天国へ行けなくなると考えていたため、最期まで助命を拒否して死を選んだキリシタンも多かった模様。
伊集院が穴に汚物だけでなく毛虫や百足などの毒虫も入れてアレンジしており、この拷問を受けた3人組の罪人は逆さ吊りによる血液の逆流、汚物、毒虫による三重の苦しみを味わうことになった上、彼らのこめかみから少しずつ流れる血が毒虫をより多くおびき寄せることになった。
罪人達はこの苦痛に耐え切れず、30分後に引き上げられると口先だけの反省や罪の擦り付け合いを始めたため(解放後は知り合いのヤクザ達に頼んで伊集院達を殺害させるつもりでいた)、一度は縄を解かれたものの、安心した罪人達が帰ろうとして伊集院の前を横切った次の瞬間……
「おい……コラ」
「テメェら、ナニ俺の前横切ってんだよ」
「舐めてんのかってんだよ! ゴラァ!!」
と、伊集院はスレッジハンマーを振り回して彼らの顎を粉砕した。
そもそもこの罪人達は、被害者が「自分達の前を横切った」という理不尽極まりない理由で暴行を加え、被害者に再起不能の重傷を負わせていた。おまけに当時未成年だった彼らは少年院送致一年という犯行の内容とは不釣り合いなほどに軽い刑で済んだのみならず、少年院を退院後、偶然街中で被害者とその母親に再会した際には車椅子の状態となった被害者を嘲笑するなど全く反省した態度は見せなかったため、伊集院は万死に値するとして彼らに自分達の屁理屈をそのままお返しすると言う同様の報復をしたのである。
「砕けた顎で、毒虫の穴に落ちるがいい」
顎を砕かれた状態で再び拷問が執行され、半日が経過した後、罪人達は顔の中に毒虫が巣食った状態で絶命することになった。