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概要編集

1950年2月9日生まれ。山口県周防市出身。1996年より宮城県仙台市在住。

在日韓国人2世として生まれた。出生名は趙 忠來(チョ・チュンレ)。成人後に日本に帰化しており、帰化後の本名は西山 忠来(にしやま ただき)。

私生活では三度の結婚歴がある。一人目の妻は20代のとき結婚した一般女性(離婚)、二人目の妻は女優の夏目雅子(死別)、三人目の妻は同じく女優の篠ひろ子。女優・作家の西山繭子は、一人目の妻との間の子供(次女)である。


高校生の頃、長姉が読売ジャイアンツの投手であった高橋明と結婚。その縁で東京に試合を見に行ったところ長嶋茂雄と対面し、彼からの勧めで立教大学に進学する。野球部員として活動したが、肘を壊し途中で退部している。

大学卒業後は広告代理店を経て、電通にてCMディレクター、プロデューサーとして勤める。

このことから芸能界やスポーツ界に広く交友関係を持ち、終生にわたりメディアの世界において大きな存在感を示すこととなった。


1981年、『小説現代』に『皐月』を発表し作家デビュー。数々のヒット作を残す。1992年には『受け月』で直木賞を受賞する。

また1980年代から1990年代にかけては作詞家(「伊達歩」のペンネームを使用)としても活躍し、主に近藤真彦とのタッグで知られた。

2016年に紫綬褒章受章。


その繊細な作風やテレビ番組等での語り口からは想像もつかないが、私生活はかなりめちゃくちゃで、アル中ギャンブル漬けになっているまるでダメなおっさんである。むしろ、訓練されたファンならば大体は「京都の真冬のゴミ捨て場で生ごみみたいに転がっている」姿か「出版社の近くの雀荘でカモられている」様子を思い浮かべるだろう。

エッセイも虚実入り交じった物が多く、出来事をありのまま綴っているわけではないので注意。

税金の申告漏れで摘発されたり、震災で自宅が被災したりと、不運に見舞われることもたびたびあった。長年の不摂生が祟ってか、何度となく体調を崩し、40代の頃にはかなりの数の歯を失ってしまって歯医者通いをしていた。


ただ、このような自暴自棄の生活に陥ったのには、2番目の妻であった夏目雅子との死別も大いに関係しているとされる。

夏目とは不倫から始まった関係ではあるが、非常に深く愛情を注いでおり、彼女の病と死は伊集院の人生に暗い影を落とし、精神的に整理できるまで非常に長い年月を要した。

一方で最後の妻となった篠ひろ子のことも強く信頼していることがうかがえ、篠との結婚後には篠の地元である仙台へ移住している。2014年には自伝的小説『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』を発表しているが、スポーツ報知のインタビューでは、作中に夏目を想起させる記述があり、このことについて篠から了承を得たこと(「嫌だって言ったら一切書かなかった。俺にとっては、雅子さんより生きている人間の方が大事だからよ」)を言及している。


時々失言もあるが、基本的には弱者に寄り添う事のできる優しい人間である。


2020年1月21日、くも膜下出血で倒れて病院に救急搬送され、翌22日に手術を受ける。2月中に退院し、3月21日になって後遺症もなく、リハビリに励んでいることをコメントした。


2023年10月27日、肝内胆管がんを患い、療養と静養に専念するため執筆活動を休止すると発表。同年11月24日に、妻の篠ひろ子によって死去したことが報告された。



代表作編集

  • 機関車先生
  • 受け月
  • 乳房

交友関係編集

長嶋茂雄現役当時からの仲
松井秀喜松井の大ファン
武豊武が競輪の面白さを知るきっかけとなった
色川武大彼の小説、いねむり先生のモデルとなった。伊集院の人生に影響を与えた人物
西原理恵子古い悪友。流石に老化に勝てず前歯が二本しかないことをばらされた
鴨志田穣生前は妻であった西原と共に交友が深く、冗談半分で泥に例えられていた

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