鎌倉時代
1192年、源頼朝は征夷大将軍に任命されたことで名実共に武家の棟梁として鎌倉に君臨。ここに鎌倉幕府が樹立してあり、関東を統括していた。
鎌倉幕府は実力の伴う武家との結び付きを強める為、御恩と奉公によって将軍と御家人の主従関係を高めることに。次第に武力だけでなく、行政権まで朝廷を上回っていった。
やがて頼朝が亡くなると、後継ぎの源頼家・源実朝が相次いで死に、執権北条氏が行政を仕切るように。
しかし思われていたより集まった兵数は少なく、鎌倉・北条19万vs上皇2万という構図で惨敗。戦後処理として後鳥羽上皇・土御門上皇、順徳上皇ら三皇の天皇経験者が流罪にされた。
この承久の乱によって、
1:鎌倉幕府には例え上皇であっても圧倒できるほどの武力があること。
2:鎌倉幕府には例え上皇であっても島流しにできるほどの権限があること。
を広く認知させ、朝廷はこれ以降鎌倉幕府倒幕までの間、実質的には鎌倉幕府の支配下に置かれることとなってしまう。
その鎌倉幕府の首座であるはずの征夷大将軍は執権北条氏によって鎌倉幕府内の行政権を剝奪されている状態であり、執権北条氏はこの時点で征夷大将軍や天皇以上の権力を握っていることになる。
つまり、日本の国家元首の陪臣である一族が実際には国のリーダーへなってしまったのである。このような例は海外でも珍しいのではないだろうか。
なお執権北条氏の役職である執権という役職も後に傀儡と化し、権力は次第に北条得宗家へ移っていく。
もっともその北条得宗家も得宗家直属の執事であるはずの内管領、平氏から長崎氏に権力を奪われていくのだが…。
ちなみに天皇の部下である将軍の部下である執権をやってきた一族の部下である執事の構造を、
傀儡(得宗)の傀儡(執権)の傀儡(将軍)の傀儡(天皇)とネタにする事も。人によってはここに治天の君を加え、傀儡を増やす場合もある。
創作では
ラスボスだと思われてたAさんを裏で操っていたBさんをそのまた裏で操っていた真のラスボスCさんがいたときのAさんのことである。
成り行きで、主人公側に回っていることが多い。
関連タグ
(トップの人を実際には支配しているもの)