人名としての北条
鎌倉時代の北条氏
桓武平氏の一流。北条時政の父・時方が伊豆介となり、伊豆国北条に住んで北条氏を称したのに始まる。時政は、源頼朝の舅として鎌倉幕府創設に活躍し、初代執権となる。以後、代々世襲して執権となり、他の有力御家人を倒し、征夷大将軍職を天皇家から迎え傀儡とすることにより幕府の実権を掌握した。
嫡流得宗家は一門を連署、六波羅(京都)・鎮西(博多)両探題、評定衆、諸国守護などの要職につけ、幕政を支配した。
名越、赤橋、金沢、大仏などの庶流を分出したが、1333年(元弘3年)元弘の乱で敗れ、幕府と命運を共にしたが、十四代執権・北条高時の次男・北条時行は建武の新政に不満を持つ兵3万を集めて蜂起、鎌倉を占拠した。ことを重く見た朝廷は足利尊氏を派兵、鎮圧に成功したが、今度は尊氏自身が朝廷に反旗を翻すことになった。
この後、時行は南朝方と結んで尊氏率いる北朝軍と戦いつづけたが、観応の擾乱の直後の正平7年/文和元年(1352年)、尊氏の子・足利基氏に捕らえられ、処刑された。
鎌倉・北条氏の主な人物
北条時政 北条義時 北条泰時 北条政子 北条時頼 北条時宗 北条貞時 北条高時
戦国時代・後北条氏
小田原を本拠にする戦国大名。始祖・早雲(伊勢長氏(宗瑞))は、1476年(文明8年)は今川氏の内紛に乗じて台頭。1491年(延徳3年)伊豆国を平定、ついで相模国を征服した。小田原城を本拠とし、二代・氏綱から北条氏に改め、五代にわたって関東を支配、武田・今川・上杉などの有力大名と互角にわたりあったが、1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原攻めにより滅亡、四代・氏政は切腹、五代・氏直は高野山に蟄居の処分を受けた。ただし、氏綱の孫・氏規の子孫は河内国狭山に一万石を与えられて幕末を迎えることになった。
後北条氏・五代
北条流軍学…後北条氏の一族・北条氏長が創設した軍学の一派。
その他
北条姓の架空人物
- 『スイートプリキュア♪』の主人公。⇒北条響
- 『ひぐらしのなく頃に』の登場人物。⇒北条沙都子
地名としての北条
愛媛県北条市
兵庫県加西市北条