概要
山形県鶴岡市にある県内唯一の水族館。『クラゲドリーム館』の館名が指し示す様に60種類以上ものクラゲを常設展示しているだけでなく、世界的なクラゲの研究拠点として機能している。
展示施設としては、クラゲ常設展示エリア「クラネタリウム」内に設置されている。約1万匹のミズクラゲが直径5メートルの大水槽で浮遊する「クラゲドリームシアター」などを構える。「クラネタリウム」で飼育されているクラゲの個体数だけでも、クラゲの展示数としては世界一を誇る。
歴史
発足から第三セクター売却まで
江戸時代に北前船の寄港地として繁栄したものの、明治期以降交通の要所しての役割を無くした加茂港の地元民が地域活性化を目的にとして、山形県水産試験場の隣接地に1930年設立した山形県水族館が加茂水族館の端緒である。戦時中の休園期間と戦後すぐの水産学校校舎時代を経て、1956年に(旧)鶴岡市立加茂水族館として復活を果たした。高度経済成長期に入ってモータリゼーション時代が到来すると、県外水族館との来客競争が過熱したため鶴岡市は一帯の温泉地と併せて総合レジャー区域とする方針を打ち立てた。この施策に則って(旧)鶴岡市立加茂水族館は1967年、第三セクターの庄内観光公社に売却されて庄内浜加茂水族館となった。
膨れ上がる負債
鶴岡市の思惑は出だし上手くはまり、庄内浜加茂水族館もリニューアル翌年の1968年には過去最高の入館者数「21万7372人」を記録した。しかし、立地条件が悪いことやライバルの後発水族館に規模で劣る庄内浜加茂水族館はすぐに苦境に立たされ、1971年にあっけなく閉館した。それでも、後に名誉館長となる村上龍男氏など4名による懸命の施設維持活動によって1972年に負債問題を抱えたまま営業を再開した。ほどなく鉄鋼商社の佐藤商事によって負債は解消されたものの、1976年に発生した酒田市内の大火災により施設は大きな被害を受けた。さらに、新た目玉展示としてラッコの飼育をはじめたが、バブル期の不動産投資の波に乗って施設を拡張させたライバル水族館への対抗策となり得ず、老朽化した施設の更新がままならない程の負債を抱えた。
クラゲ水族館への歩み
バブル崩壊後、庄内浜加茂水族館の入場者数は年々減り続けて1997年には過去最低の「9万2183人」まで減少した。だが、入館者が誰一人来ない日すらあった時期に後に館長となる奥泉和也氏が偶然サンゴの水槽で生まれたサカサクラゲを育成、展示すると噂が広がり年10万人ペースで入場者数を回復させた。ニッチトップの戦略性に気付かされた庄内浜加茂水族館職員たちはその後、クラゲ料理やクラゲヒーリンググッズの展開など積極策に転じ、ライバル水族館が建て替え閉館した2002年のタイミングを見計らって鶴岡市が施設を買収。鶴岡市立加茂水族館の現行の運営体制が敷かれた。
世界的なクラゲ研究機関に
偶然の産物からクラゲ水族館として名を馳せた加茂水族館は2005年にクラゲ展示種類数世界一となる。その間に、各クラゲの生態に合わせて育成できる特殊水槽の開発に成功するなど独自のノウハウを築き上げ、後からクラゲ展示を開始した他の水族館の追随を許さなかった。2014年には国有地から県有地に変更された土地を活用して新館『クラゲドリーム館』を開園、前年度「25万1600人」だった入場者数を「71万6354人」に跳ね上げた。今日では世界中の海洋研究者と密な連携を取っており、入場者向けのイベントなども充実させている。
交通網
関連人物
村上龍男:現名誉館長、庄内浜加茂水族館が閉館した際は私財を担保として再開館へこぎつけた。
奥泉和也:現館長、偶然飼育を始めたクラゲをキッカケに加茂水族館の発展へ大きく寄与した。