人物
サウンドミキシング技師であった下永尚を祖父に持ち、幼少期から東宝特撮の現場に入り浸る。高校生時代には竹内博が主催する「怪獣倶楽部」に所属。国際放映の殺陣グループ安川剣友会の付き人を務めており、人手が足りない時には『電人ザボーガー』の竜マンや『冒険ロックバット』のブレイザーなどスーツアクターの応援を務めたこともあった。
安川剣友会の紹介で円谷プロダクションのSFテレビドラマ『アストロノーティカドラマ・スターウルフ』にアルバイトの美術スタッフとして参加。この時の制作現場は東映の『宇宙からのメッセージ』の制作にフリーの特撮美術スタッフが駆り出されていたため人材不足であり、原口以外のアルバイトは初日で逃げたため『宇宙からのメッセージ』の制作終了までは原口と美術の山口修の二人で美術を手がけていた。
また『スターウルフ』のアクションを担当していた富士スポーツに安川剣友会の先輩がいたことからアクションにも参加している。関連書籍などでウルフアタッカー団員として紹介されることが多いスチールの一人は原口である。
和光大学人文学部在学中より、人形師の川本喜八郎に師事。大学中退後、1979年に造形工房モンスターズに所属して1984年に独立。特殊メイク工房FUNHOUSE(現:中州プロ)を設立後、映画やテレビなどで活躍する。1991年に当時同じく新人であった樋口真嗣らとともにオリジナルビデオ『ミカドロイド』で監督デビュー。2000年に『さくや妖怪伝』で映画監督デビューする。
プロップコレクターであり、撮影所に出入りしていた少年時代から壊れたミニチュアなどを貰っていた。『ウルトラマンメビウス』に登場したガンクルセイダーやGUYSアローは彼が持っていた『マイティジャック』のコンクルーダーや『帰ってきたウルトラマン』のマットアロー1号の改造である。
2008年より、ホビージャパンで復刊した雑誌『宇宙船』にて自身の収集・修復品を紹介する「夢のかけら」を連載。2021年には連載をまとめた写真集が発売された。
原口の収集・修復活動をきっかけとして、2012年に庵野秀明が企画した『館長庵野秀明特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技』が開催され、その後ATAC(アニメ特撮アーカイブ機構)の設立へとつながった。『特撮博物館』では集めた残骸から復元した『マイティジャック』のマイティ号を展示している。