概要
「台湾軍」とは、大日本帝国陸軍の軍の単位の一つで1919年に設置され台湾を管轄した。
現在の台湾を統治する中華民国の軍隊ではないので誤解なきよう。
曲の発表は昭和15年で、同年にはレコードも発売されている。
昭和18年に公開された映画「サヨンの鐘」では挿入歌として演奏され、劇中では登場人物の一人である李香蘭が歌った。
歌詞の著作権は失効しているので、ここに掲載します。ただし、曲の著作権は未だに有効なので注意。
- 1
太平洋の空遠く
輝く南十字星
黒潮飛沫く椰子の島
荒波吼ゆる赤道を
睨みて起てる南の
護は吾等台湾軍
嗚呼厳として台湾軍
- 2
胡寧の戦武漢戦
海南島に南寧に
弾雨の中を幾山河
無双の勇と謳われし
精鋭名ある南の
護は吾等台湾軍
嗚呼厳として台湾軍
- 3
歴史は薫る五十年
島の鎮と畏くも
神去りましし大宮の
名残を受けて蓬莱に
勲を立てし南の
護は吾等台湾軍
嗚呼厳として台湾軍
余談
作詞者の本間雅晴は帝国陸軍の軍人で、太平洋戦争の初期にフィリピン攻略戦を指揮した人物として有名である。
彼は1940年(昭和15年)12月2日 〜 1941年(昭和16年)11月6日までの間に台湾軍司令官を務めており、この時期に作詞を行ったのだろう。
当時の日本人としては大柄の180センチの高身長で、将校かつ将官であるので当然の事ながら陸軍士官学校と陸軍大学校を出たバリバリのインテリ、しかも在英日本大使館で大使館付武官を務めたので英語もペラペラだった。
更に、指揮を執ったフィリピン攻略戦は日本軍の勝利に終わり、陥落直前にマッカーサーが(ルーズベルト直々の命令とは言え)島から脱出したが、その彼に対し「文武両道の名将だね。文というのは文治の面もなかなかの政治家だ。この名将と戦ったのは僕の名誉だし、欣快だ」と敬意を表する事を忘れず、占領後には部下を集めて「焼くな、殺すな、奪うな」と軍紀の遵守と現地人に対する横暴や高圧的態度の禁止を1時間に渡って説く人格の持ち主で、(勿論、身内の陸軍内部でも温厚な人物として知られていた。)更には感性や文才の面においても、本曲をはじめ陸軍行進曲などの複数の楽曲の作詞を行っている。…何者なんですかこの人は。
帝国陸軍の上層部が彼や今村均の様な人物ばかりであったならば、道を踏み間違えることがなかったと思える。
そんな彼が(彼のみに原因があるわけではなかったのだが)バターン死の行進の責任を取り、更にはマッカーサーの恨みを買ったこともあってあのような最期を迎える事になってしまったのは誠に残念でならない。