東京弁
とうきょうべん
東京弁とは、東京23区の都心部とその周辺でかつて話されていた言葉。江戸の頃から日本各地から人々が集まるという土地柄、各地の方言(特に京都を中心とした上方の言葉や、徳川家康の出身地である三河の言葉)を吸収していった結果、周辺の関東方言とは大きく異なる特徴を有する。
標準語ではない方言としての東京の言葉は、地理的に若干離れた東海東山方言の要素が強く、いわゆる「言語島」の状態にある。
主として武家社会で培われた山の手言葉と、町人の間で用いられていた江戸弁に分かれる。江戸弁については既に別の記事で紹介されているので、ここでは主に山の手言葉について説明した上で、さらに現代の東京近郊で主に用いられている首都圏方言についても併せて記す。
広義には東京都下で話される他の方言も含めて東京弁と称する事があるが、これらはそれぞれ異なる方言区分に属している(多摩弁:典型的な西関東方言 北部伊豆諸島方言:伊豆半島の方言に近い 八丈方言:奈良時代の東国方言の名残を残す方言。日本語とは独立した言語とされる事も)。東京都下の方言は、いずれもほとんど廃れて首都圏方言に置き換わっており、今でも方言の特徴を残す言葉を話すのは高齢者がほとんどである。
元は江戸時代に上流階級の武家が日常的に用いていた言葉であった。室町時代や安土桃山時代といった京都が武家政権の中枢であった頃は当然京言葉が武家の共通語として機能していたものの、それが江戸に移り参勤交代などもあって京言葉に堪能でない若い世代の武士が生まれるようになってきた。そのため生の京言葉に代わって武家の嗜みとして鑑賞されていた能楽の台詞回しや手紙に使う文章語のような「京言葉ベースの言語」をベースとしつつ庶民が用いている関東弁の影響を強く受けた言葉が新たな武家の共通語となった。後に明治時代になると公家により近代の京言葉が持ち込まれ、更に新政府の要人が用いていた山口弁や鹿児島弁、それに廓言葉などの要素が加わる事により、旧来の「江戸の武家言葉」から新しい「東京の山の手言葉」へと変容していった。
以上の経緯より山の手言葉は京言葉の強い影響のもとに成立しているため、連母音変化(例:あい→えー)の欠如やウ音便(例:ありがたく→ありがとう)の使用など関西弁と共通する要素が多い。更に旧来の関東の方言に比べ敬語表現が著しく洗練されており、「ざます」「ざんす」や「あそばす(~あそばせ)」等、現在ではあまり使われないものも多い。一方でアクセントや発音などは近隣で話されていた西関東の諸方言に近く、例えばガ行音において語頭以外では一定の規則に基づいて鼻濁音(英語のlanguageのngがこれに近い)が用いられる等の特徴も有していた。
一応、お嬢様言葉などに山の手言葉の名残を見る事はできよう(とはいえ、上のような例はどうかと思うが……)。
日本語の標準語はこの山の手言葉をベースに発展したものであり、関西などではこの標準語を蔑んで「東京弁」と呼称する場合もあるが、以上のような特徴を見ても分かる通り、厳密には東京弁(山の手言葉)と標準語は異なる。
関東大震災や高度経済成長を経て、東京都心部とその周辺に地方から移住する人が増える一方、逆に都心部から郊外へと移り住む人が増え、東京方言と標準語(共通語)、それに西関東方言との境目が段々と曖昧になっていき、それに北海道方言をはじめとする各地の方言が流れ込んでいった結果生まれた新たな方言。1980年代から徐々にメディアでも用いられるようになっていき、東北地方の諸方言をはじめとする東日本各地の話し言葉に影響を与えるなど、現在では方言という認識よりは「くだけた共通語」という認識がなされる方が多いとさえ言われている。
アクセントは山手言葉や江戸言葉などの古典的な東京方言に比べ平板であり、イントネーションは尻上がりになる傾向が見られる(茨城弁などの東関東方言からの影響か)。基本的に東日本方言からの影響が強いが、時折関西弁や博多弁などの西日本・九州方言からの語彙の流入も見られる(「アホ」、「バリ」、「良き」など)。