概要
相手に対して刀を抜くまでもなく、鎧の袖を当てただけで倒すほどの圧倒的な力の差を見せつけて圧勝することを表した四字熟語。
あまり知られていないが実は日本生まれの言葉(しかも本来は死亡フラグ)である。
故事
時は保元の乱の直前、上皇方の武将源為朝はまともにぶつかり合ったら天皇方有利と見て、夜襲を献策する。しかし、上皇方は天皇方の武将である平清盛を恐れていた。
そこで、為朝は「平清盛とは前に戦った事があるが、鎧の袖(鎧袖)が軽く触れた(一触)だけで逃げ帰るような腰抜けだった」と主張した。しかしこれを聞いた上皇方は、安心するどころか清盛を侮るようになってしまい為朝の策を却下してしまう。(※1)
その夜、為朝の兄である天皇方の武将源義朝は、まともに戦ったら為朝には勝てないと考えた平清盛と共に上皇方の本拠地を奇襲する。為朝は鬼神のごとく奮戦するも、もはや個人の武勇でどうにかなるような状況ではなかった。
かくしてこの夜襲によって乱の大勢は決し、皮肉にも鎧袖一触という言葉を使った為朝が鎧袖一触される側になってしまった。
(※1)出典の日本外史ではこうなっているが、日本外史が書かれた当時の俗説では「夜襲は卑怯であり、上皇と天皇の戦ではやるべきではない」という理由で却下されたとなっている。なお、21世紀となった現在では「双方の戦力差を冷静に検討した結果、夜襲を仕掛けても返り討ちにあうだけと判断された」という説が有力である。詳しくは藤原頼長の記事を参照。
歴史は繰り返す
太平洋戦争真っ只中の1942年5月、連合艦隊はハワイ攻略までのつなぎとしてミッドウェー島を攻略し、アメリカの空母艦隊を撃滅して、本命のハワイ攻略作戦を容易にせんとするMI作戦を立案した。
しかし軍令部は、補給線が維持できないこと、アメリカ艦隊が出現する確約がないことなどを理由に連合艦隊の提案を拒否した。そこで連合艦隊司令部の渡辺安次参謀は、伊藤整一軍令部次長に直接意向を説明することで軍令部の認可を得て、MI作戦は実施されることになった。
5月25日、MI作戦に参加する第一航空艦隊の源田実中佐は作戦会議において、「ミッドウェー島に攻撃している間、基地航空隊や米艦隊による反撃を受けたらどうするのか」という問いに対して「わが戦闘機をもってすれば鎧袖一触である。」と答えた。それに対し山本五十六司令長官は「不用心極まる」として源田をたしなめたとされる。
そして来たる6月5日、第一航空艦隊(赤城・加賀)・第二航空艦隊(飛龍・蒼龍)から成る南雲機動部隊はミッドウェー島に到着、MI作戦が開始された。
しかし米軍は日本軍の暗号を解読してミッドウェー攻略を察知しており、南雲機動部隊を基地航空隊および機動部隊により迎撃。索敵不足により反撃を予測できなかった艦隊は、艦載機による反撃どころか対空砲火すらままならず、主力空母である赤城・加賀・蒼龍の3隻が沈没。たった1隻残された飛龍は艦攻隊をもって反撃、米空母ヨークタウンを撃沈するが、米軍の猛攻に耐えきれず駆逐艦巻雲の雷撃処分により沈没。南雲機動部隊は壊滅した。
「鎧袖一触」が成立した源為朝の故事の結末よろしく、「鎧袖一触」と謳われたMI作戦は日本側の主力空母4隻沈没という重大な犠牲を生み、太平洋戦争のターニングポイントとまで言われる悲惨な敗北を迎えてしまった。
関連タグ
日本外史:出典
アナベル・ガトー:決め台詞にしている人、その1。
加賀(艦隊これくしょん):決め台詞にしている人、その2。上記の史実に由来する。
パープルチューリップ(花騎士):決め台詞にしている人、その3。
ライン(ゼノブレイド):決め台詞にしたかった人。「よろいそでひとさわり」と全部訓読みで覚えてしまっている。
ブレイドストーム:キャッチコピーにしているゲーム。