近鉄680系
東海道新幹線の開業に伴い、新幹線との乗換駅となる京都駅発着の有料特急を新設する方針が固まり、投入することになったのが本系列である。奈良電気鉄道では1954年より京都駅~奈良駅間で料金不要の特急列車を運転していたが、これを有料特急へ格上げする形で近鉄橿原線を含めた「京橿特急」が新幹線開業の1964年10月に新設された。
近鉄京都線の前身にあたる「奈良電気鉄道」が保有していたデハボ1200形・デハボ1350形が、680系の前身。2扉セミクロスシート車であり、上記の料金不要の特急等の優等列車に使用されていた。運行開始当時、京都線・橿原線では建築限界が他の路線よりも小さく、また架線電圧も開業以来の直流600V電化のままであったため、将来の建築限界拡大を見据えて在来車からの格上げ改造が妥当と判断された。
680系への格上げ改造に際し、有料特急列車としての体裁を整えるため全座席を転換クロスシートへ交換、冷房化と固定窓化、車販設備及びトイレの設置などが行われており、正に魔改造レベルの改装であった。
- デハボ1200形は先述の無料特急用の車両として(1954年の運行開始に合わせて)2両が製造された。車両予算不足からクハボ600形と2両編成を組成していたWN駆動の高性能車で、1963年の会社吸収合併に際し「モ680形」に改称、この車号のまま有料特急車へ格上げされた。主電動機はMB-3020で、後にビスタカーの近鉄10000系及び10100系にも採用された。原設計から70年近く経過した現在でも近鉄2000系、1000系、1010系、山陽5000系、山陽3000系で使われ続けている。
- デハボ1350形はこの無料特急の増発に際し、予算削減のためデハボ1200形と同一設計の車体ながら在来車からの機器捻出で1957年に3両が新造されたツリカケ駆動車。1963年の会社吸収合併に際し「モ690形」に改称されたが、モ692・693号車は有料特急車への格上げ改造により電装解除、「ク580形」(2代目)となった。
建築限界拡大により1973年に12200系の乗り入れが始まると予備車となり、翌年には名古屋線へ転属し団体専用車へ転用。1975年には車販設備及びトイレの撤去が行われ座席はそのままで志摩線の一般車(普通列車用)へと格下げされた。
ブレーキ弁の部品確保が困難になり、老朽化も進んだことから1987年3月に通常運用から離脱、5月に鳥羽発名古屋行き臨時急行としてさよなら運転が行われ、全車が引退・解体された。
近鉄683系
680系は2編成しか在籍しておらず、車両検査時の予備車として680系と共に登場したのが683系である。本系列は680系と同様の理由で改造車となったが、改造内容は必要最小限にとどめたため非冷房・扉間のみクロスシート・ツリカケ駆動のままであった。3両編成1本。
「京橿特急」が好評だったため予備車なしで本編成が増発列車に起用されることもあったが、のちに京橿特急の後継特急車両として18000系・18200系が新規で製造された。
改造種車は先述のデハボ1350形⇒モ690形のうち余っていたモ691号車、および先述のデハボ1200形とペアを組んでいた1940年製のクハボ600形⇒ク580形(初代)ク581・582号車。改造によりモ691号車はモ683号車へ、ク581号車はモ684号車へ、ク582号車はク583号車へそれぞれ改番を行った。ク581号車は電装に際しモ692号車から捻出した機器類を装備している。
1969年の直流1500V化の時は、ツリカケ駆動のまま主要機器の大改装が行われ、モ683・684号車はユニット化された。すでに後継の18000系・18200系がデビューしていた時期であり本系列は団体専用車へ転用。1972年3月には一般車へ格下げされたものの、稼働率は乏しいまま1976年に編成が解体された。
- クハボ600形由来のモ684・ク583号車は1976年に廃車除籍。
- 車体が他の2両よりも新しいデハボ1350形由来のモ683号車は、電装解除のうえク1322号車へ改番。荷物電車(鮮魚列車)として使用され1989年まで活躍した。