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1950年代にアメリカ航空機メーカー フェアチャイルドエアクラフトの銃器製造部門であるアーマライトよって開発されたアサルトライフル

アメリカ軍の採用審査に提出されたが、M14に敗れて採用されなかった。

概要編集

後に設計し直されてAR-15となる銃である。

開発指揮はアーマライトの技術者 ユージン・ストーナー

1956年に発表されたこの銃は、当時、といえばというイメージの中、航空機メーカーでは普遍的な素材である軽合金や樹脂を多用し、材質やデザインで業界に衝撃を与えたエポックメイキングなものであった。

また、これらの新しい素材の積極的な採用によって同じクラスの銃より1kg近く軽かった。

使用する弾薬は7.62×51mm弾。弾倉は20発入りの箱型弾倉。


総合的な性能は悪くなかったものの、不運が重なったため大々的な採用は無く、主に第三世界の特殊部隊への採用に限られた。


構造・設計編集

銃身からバットプレートまでが一直線の直銃床でフルオート射撃ではコントロールがしやすく、ダイレクトインピンジメント式(ガス直噴式)の機関部はセミオート射撃で優れたスコアを叩き出した。

直銃床となった事で、リアサイトは頑丈なキャリングハンドルの上に移された。このスタイルは、AR-10(AR-15)シリーズのトレードマークになった。

チャージングハンドルは、当初AK89式小銃と同様にボルトキャリア側面に直接つけられていたが、引っ張り方向のみ作用するものをキャリングハンドル内側に収める形に改められた。

レシーバーは充分な強度の軽合金製で、上下2分割のものがマガジンハウジング前側でヒンジ留めされる構造である。通常分解のときはヒンジを中心にアッパーレシーバーが上に持ち上がる(銃身の銃口側が下がる)ように折れ曲がる。

この設計は、FNFALに影響を受けたのではないかと言われている。


採用審査編集

アメリカでは、M1ガーランドに替わる新型小銃の採用審査にあたって銃身にアルミ合金とスチールの複合素材を用いた軽量型と一般的なスチール銃身を用いた通常型の二種が提出された。

前述のとおり、フルオート・セミオート共によく当たり、それでいて他のライバルより軽かったため、採用審査では最も優秀な銃として注目された。

しかしながら、軽量型に用いられた軽合金製の銃身は耐久性が低く、試験中に破裂事故が起きたため採用されることはなかった。

軽合金製の銃身の採用は社長の強い指示でストーナーの意思に反したものであったが、この破裂事故が採用に大きく響いたと思われる。

一方で通常型は審査を通過したものの、構造がそれまでの銃と大きく違っていた点が嫌われた為か軍上層部の充分な支持を得られずに落選した。

結局、この採用審査で栄冠を勝ち取ったのは「T44」ことM14であった。

その後編集

1957年にフェアチャイルドはAR-10の利権を売却。オランダで製造されることとなった。(※勿論、銃身は鋼製である)

アメリカを含めて、主力小銃として採用する国は無かったが、FALG3などに隠れがちではあるものの、第三世界の特殊部隊や精鋭部隊を中心に世界各所で使用された西側アサルトライフルであった。

キューバでは、当初親米政権であったバティスタ政権から発注されていたものの革命で倒閣。最終的にキューバに到着した100丁はゲバラカストロらが率いる革命勢力に渡った。彼らは威力の高さを大層気に入ったらしいが、その後反米的な姿勢を強めたためこの100丁以降は輸出されていない。

1960年に本銃を採用したポルトガル空軍の空挺部隊向けのモデル(通称ポルトガルモデル)は、チャージングハンドルやセレクターになどに改良が加えられた。

具体的にはボルトを手動で強制的に閉鎖させられるようチャージングハンドルの設計が変更されたほか、初期のモデルで安全位置が中央(SEMI-SAFE-AUTO)だったセレクターがM16と同じ順序(SAFE-SEMI-AUTO)に変更された。

ただし、同年中にオランダで武器に対する輸出規制が開始されたために、生産が終了した。


結局、オリジナルのAR-10はオランダ製のもので合計10,000丁程度とそれほど大量に製造された訳ではなく、多くの銃は1990年頃には引退したものと思われる。

西ドイツインドではテストのみ、フィンランドでも7.62×39mm弾仕様の試作モデルがテストされたが落選している。


また、アーマライトは1958年にAR-10を雛形に口径5.56mmとした小口径型の AR-15を開発したが、やはりアメリカ軍には採用されずに利権をコルトに売却してしまった。

ところが、採用審査でAR-10を下したM14がベトナム戦争によってアサルトライフルとしては使いづらい銃であることが露呈してしまい、軍は急遽このAR-15M16として採用。

ところが、件のAR-15の制式採用がよりによってコルトに渡った後であったため、親会社のフェアチャイルドがアーマライトの営業能力の低さに対して激怒。

皮肉にも自社の製品が引き金となってリストラされてしまったと言われている。

リファイン編集

アーマライトはAR-15を開発後、これを再び拡大させたAR-10aを新たに開発した… が、このモデルは何処にも採用されずに絶版となった。

1990年代初頭、ストーナーとその弟子であったリード・ナイツはAR-10を元に近代化させた再設計モデル『SR-25』を開発。アメリカ軍ではSASSとして採用された。

このSR-25は、M16と60%程度の部品互換性を持ち、操作系もM16とほぼ同じであるため、オリジナルのAR-10と似てはいるが別物とも言える銃である。


その後、オリジナル同様AR-10を名乗るモデルが復活した。1995年に新たなオーナーの元に発足した新生アーマライト社(ArmaLite Inc)で設計された『AR-10B』で、設計にあたってSR-25やAR-15A2(M16A2相当の民間モデル)の設計が取り入れられたが、最初のモデルの操作系はオリジナル準拠であった。

その後も「7.62×51mm弾を使うM16のような銃」がいくつか登場し、これらもAR-10(タイプの銃)と呼ばれる事もあるが、SR-25の影響を受けて90年代以降に新たに設計された銃は作動方式やごく基本的な構造以外こそ共通するものの実質的に新設計の別モデルで、単にAR-10と書かれていても、オリジナル系統(に近い銃)を指すのか"デカいAR-15(M16)"を指すのかというニュアンスの違いに注意が必要である。


銃器メーカーのBrownellsはBRN-10という名称でオリジナルモデルの復刻版を製造している。

余談編集

戦後、日本では新憲法下の再武装にあたって国産の主力自動小銃の研究開発が始められた。そこで防衛庁と豊和工業はAR-10など複数の小銃を範にガスピストン式や直噴式など作動方式が異なる銃を数種類試作した。

この銃は最初期こそAR-10にビックリするほど酷似した外観であったが、試作を重ねるにつれてあれこれ色々と手が加えられて独自のデザインとなり、最終的に64式小銃となった。



関連項目編集

AR-15/M16 SR-25

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