愛称は「キングカズ」。
人物
プロになるまで
1967年2月26日、三浦知良は静岡県静岡市葵区にて生を受けた。実兄は元サッカー選手である、三浦泰年氏。
知良で「かずよし」と読ませるという独特な名前は、母方の祖父より授かった物。
小学校4年の時に両親が離婚したため、以降は三浦姓を名乗るようになる(それ以前は納谷姓であった)。
その頃から既にサッカーに傾倒しており、中学校の時に提出した進学希望欄に「第1志望:ブラジル」と書いて、教師から大目玉を喰らったという伝説を残している。
ブラジル単身留学
1982年12月に高校の1学年修了を待たずに退学し、単身ブラジルへと渡る。
地元クラブへ入団を果たすも、日本人独特の身長の低さがネックとなり、当時の指導者たちは「ブラジルでプロになるのは無理だ」と語っていたそう。
ブラジルでプロになれないという現実を突きつけられ、日本への帰国を選びかけるが、地元の子供たちが楽しげにサッカーをしている姿に発奮し、ブラジルに留まる道を選んだ。
1986年、ブラジルが誇る超名門・サントスFCに入団(あのサッカーの神様であるペレが在籍したクラブである)したがレギュラー定着とは行かず、すぐに別のクラブへと移籍した。
その後は複数のクラブを渡り歩くジャーニーマンとなったが、1990年2月に復帰。
日本への復帰、そして日本のキングへ
1990年7月、読売サッカークラブ(現:東京ヴェルディ)へと移籍。ブラジルより日本の方がギャラが良かったからという理由を語っていたが、実際はたけし軍団のラッシャー板前氏のところに居候するほど、生活に困っていたらしい。
1993年、日本での本格的プロサッカーリーグ「Jリーグ」が開幕。この年のカズはヴェルディ川崎の年間優勝に貢献&日本人最多の20得点をマークしたことで、この年のMVPを獲得。名実ともに日本のキングとして君臨した。
イタリア挑戦
1994年にはイタリア・セリエAのジェノアへ1年間の期限付き(レンタル)移籍。当時のジェノアは日本のケンウッドがスポンサーを務めていた事もあり、外貨を獲得する為の商業的な移籍とする見方がかなり強かった。
プレシーズンマッチで好プレーを見せ、シーズン開幕戦での先発出場を勝ち取ったカズは、相手DFと競り合った際に鼻骨(と眼窩系神経の損傷)を骨折するというアクシデントに見舞われる。この時に競り合ったDFは、ACミランのレジェンド、フランコ・バレージ氏である。
この年は21試合(先発した試合は10試合)に出場して1得点の成績で終え、同じイタリアのトリノFCやポルトガルのスポルティング・リスボンからオファーがあったが、いずれも断って日本へ帰国した。
日本帰国後~現在
帰国後の1996年には得点王を獲得するなどの目覚ましい活躍を見せたが、ヴェルディの親会社である読売新聞社が1998年に撤退。それによって大幅なリストラが断行され、カズに対しても年俸ゼロ(つまり、事実上のクビ宣告)が提示される。
さらに、同年に開催されたFIFAワールドカップフランス大会の日本代表からは落選するなど、不遇な時期を迎えた。
それでもカズの挑戦の情熱は尽きず、クロアチアのディナモ・ザグレブへ2年契約で移籍。(ただし、イタリアへの移籍時と同様に外貨を獲得するための意味合いが大きかった)
この時の挑戦は得点こそ記録できなかったものの、クラブの優勝には貢献している。
その後は、京都パープルサンガ(現.京都サンガF.C.)やヴィッセル神戸を経て、2005年7月に横浜FCへ移籍。同年にはシドニーFC(オーストラリア)にも期限付きで移籍し、同年のトヨタカップ世界クラブ選手権(現:FIFAクラブワールドカップ)にも出場した。横浜FCへの復帰後は、現役最高齢のJリーガーとして日本中を魅了し続けていた。
2007年にはJ1では久しぶりとなるゴールを決めた。この時のカズは既に40歳を超えており、J1の歴史においても40歳以上でゴールを決めたのは、(彼以外では)ジーコ氏、中山雅史氏、ドゥトラ氏、中澤佑二氏、中村憲剛氏の5人しかいない。
2011年の東日本大震災のチャリティーマッチとして実施された本田圭佑らを擁する日本代表と田中マルクス闘莉王らを擁するJリーグ選抜の試合では、Jリーグ選抜の一員として参戦。この試合は海外組も多く日本人トップレベル級の選手が集結する日本代表が3-1で勝利したが、Jリーグ選抜が得点した1点はカズが決めたものであり、当時の日本代表監督を務めていたザッケローニ監督は「点を決められるのはイヤだけど、今回ばかりは点を決められて嬉しかった」とのコメントを残した。
また、50歳で得点を挙げたこともある。これは今後も塗り替えられることのないであろう、Jリーグ史上最年長得点記録である。
2022年1月、兄・三浦泰年氏が監督を務めるJFL所属の鈴鹿ポイントゲッターズへの期限付き移籍が発表された。
2023年にはポルトガル2部のオリベイエンセへの期限付き移籍が決定。50代も中頃にして海外移籍を果たす。
2024年6月、古巣のアトレチコ鈴鹿クラブ(以前のチーム名は鈴鹿ポイントゲッターズ)へ期限付き移籍。果たして、彼がスパイクを脱ぐのはいつになるのだろうか・・・?
ただ、肝心のプレイはさすがに年齢を感じるようになっており、50代半ばになるともはやサッカーの技術として成り立っていない程のレベルまで衰えてしまった。さらに彼のプレーをまとめた動画でも、その衰えぶりを(動画付きで)指摘されている。
タレント・ファッションモデルの三浦りさ子氏(旧芸名:設楽りさ子)との間に2子あり、長男は俳優の三浦獠太氏、次男は格闘家の三浦孝太選手がいる。
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仮面ライダーリバイス:最終話にて、本人役で出演。主人公の五十嵐一輝にエールを送った。