ジェイポップ(Japanese-Popsの略)とは、平成一桁代頃から一般に定着するようになった言葉で、「日本のポピュラー音楽」を意味し、日本発の洋楽指す言葉、ジャンルである。広義では1970-80年代のニューミュージック等も含み、ロックやフォーク、歌謡曲との境界は必ずしも明確ではなく、更に広く言葉の通り「日本の流行歌」(Japanese Pop Song)の意味で捉える人もいるであろう。
概要
昭和63年にJ-WAVEの斎藤日出夫がレコード会社の邦楽担当者らと会議を行い、「J-POP」という言葉が誕生した。一般にこの呼び方が定着したのは平成5年から平成7年頃とされる。
狭義のJ-POP
特徴は、BPMの早さや洋楽の影響を受けた曲節、コード進行、リズムにあり、グルーヴが洗練された作品が多い。平成初頭より、洋楽の表現手法が大々的に導入されて高く評価される様になった。
広義のJ-POP(Japanese Pop Song)
欧洲文化が日本に入ってから同化した近代以降、日本で流行した大衆的歌曲は Japanese Pop Song ということになる。
その範囲を専門的に分類すれば、
①江戸時代からの音楽的遺産
②地方俚謡が全国化したもの
③花柳界から出た新作の小唄
④学校唱歌、学生歌および軍歌のうち一般に流行したもの
⑤演歌師等によって作られたもの
⑦外国の流行歌を輸入したもの
等がある。
およそ文政の終わりから天保の初めに原型となった都々逸は歌詞が無限にあるが、これが今なお持て囃される日本の標準的流行歌である。
近代の流行歌(Jポップ)は『宮さん宮さん』(とんやれ節)に始まり、色々な国で日本の国歌と誤認していた。『戦友』は日露戦争中の歌の中で最も有名で、作曲者は宝塚少女歌劇の作曲者としても活躍した三善和気である。大正に入って演歌では節回しが優艶である『奈良丸くずし』、三拍子の『籠の鳥』が流行した。昭和の始まりと共にレコード盤の大量製造が容易となり、昭和のJポップは人気芸者らによって歌われ、大衆化し広まっていった。明治以後のJポップが各々違った意味で達した頂点が、外国曲の旋律型と日本音階と調和させた『君恋し』、小説の主題歌で空前の売上を示した『東京行進曲』、新しい日本民謡の姿を示した『ちゃっきり節』の三曲である。満洲事変後はハイティーンの清純派アイドルのレコードがブレイクした。『露営の歌』は生誕百年を迎えた古関裕而の傑作(明治の『戦友』に匹敵する)として注目されるべきである。
標準的J-POP「都々逸」
三大J-POP
君恋し(フォックストロット)
全体に西洋の東洋風舞曲といった感じがあって新機軸を出し、非常な流行を見た。
東京行進曲(映画主題歌)
この歌は全然行進曲ではなく、『東京行進曲』という題の小説に付随する歌として作ったが、小説の内容にも拘泥していない。
茶切節(フォークソング)
新民謡というジャンルの中の傑作で、詩趣の豊かな歌詞に、日本趣味の和やかな曲がついて、新しいフォークソングの姿を示した。
JPOPアーティストの一覧
- アーティストで作詞作曲を行う人は「シンガーソングライター」に分類されている。
- アイドル歌手は「アイドル」に分類されている。