標準語
ひょうじゅんご
概要
ある言葉にいくつかの方言や地方言語がある場合、各々が自身の方言を使用して相互に会話を行えば、コミュニケーション不全の原因になる。そのため、これらの方言を統一し、公的な場で用いる際の基本の言語として定められる言語を、標準語もしくは共通語という。
既存の言語や方言の中から首都で用いられるものや上流階級の使用する古語などを選ぶ場合もあれば、ある種の人工言語として既存の方言の中から代表的なものを選び、折衷させて制定する場合もある。前者の例としては日本語の山手方言や英語のRP、後者の例としては標準フランス語やインドネシア語がある。
一般に標準語もしくはそれに選ばれた方言は、「使用者による揺らぎのない正しい文法」と正書法が定められるため、実際に使用される表現について言語学的な誤りの有無を客観的に検証可能であり、また「正しい言葉」を話すための教育を行うことができる。これに対し、標準語としての地位を有しない方言や地方言語は、自然発生的な複雑な文法体系を有し、また正書法が定められないため、本質的に「正しい言葉遣い」を検証するのが困難である。一例として、名古屋弁の「猫がにゃあにゃあ、にゃあとるでよ」(猫がにゃあにゃあ鳴いている)という文において、「にゃあにゃあ」の「にゃあ」と「にゃあとる」の「にゃあ」は発音が異なるが、方言である名古屋弁は正書法を有しないため、これらの書き分けは本質的に困難である。
名目上にはRP、クイーンズイングリッシュと呼ばれる、イギリス英語の上流階級の発音が標準語として認識されている。RPはサセックス周辺地域の上流階級の方言に端を発しているとされるが、諸説ある。
しかし第一次世界大戦以降は米国の影響力が上がったため、ハリウッド映画等で発音を学んで米国式発音をする人も多いほか、"centre" "colour"などの英米で微妙に異なる綴りに関しては米国式に倣うことが多くなっている。
日本やフィリピンでは歴史的な事情で最初からアメリカ英語で英語教育が行われており、アメリカ英語を標準のように考える国民が多い。もっとも日本人にとっての英語とはEngrishであり、アメリカ英語かイギリス英語かなどという問題は蛇足に過ぎない。
近代以降は東京弁の一種である山手方言が標準語の原型となっている。現代ではテレビの影響が大きい。
実際に首都圏の人々の言葉が使っているのは標準語でもなんでもなく、若年層の間では同じく東京弁である首都圏方言が台頭しており(敬語表現が衰退、「ない」→「ねえ」などのぞんざいに聞こえる音韻の変化など)、古典的山の手言葉は死に体である。首都圏では首都圏方言こそが標準語であり、自分たちは全く訛っていないと誤認する人間がいるが実際は方言化している。
このため、方言を恥じる地方出身者の方が、ある種の第二言語として「正しい標準語」を学んでいる現状がある、首都圏出身者以上に標準語をマスターしていることが多いという逆転現象が生じている。
むしろ、山手方言の複雑な敬語表現の多くは京言葉からの借用であり、京都出身者などがアクセントを京阪式から東京式にコンバートすることさえできれば山手方言以上に山手方言らしい非常に丁寧な言葉遣いを身に付けることができる。
就職活動や冠婚葬祭などでは、「正しい標準語」を話すことが特に求められる傾向が強かったが、お笑い芸人等の活動により、かつてのように方言を恥じる風潮は減ってきている。ネットでも関西弁が流行中。
地方出身でアクセントが抜けないからと、近畿地方などの出身者がアナウンサーや声優への道を、チャレンジもせずに諦めてしまうこともあるが、実際にはこういった事情により、本来東京弁とは全く異なるアクセントを母語とする地方出身者が、正しい日本語を話すことを強く話すことが求められるアナウンサーや声優などの職業に従事し、首都圏出身者以上に活躍している例も少なくない。こうした現場では、首都圏出身者よりも教養のある地方出身者の方が有利になる場合が多々ある。
地方標準語
同一道府県内においても意思疎通が困難なほどの方言差がある地域では、その道府県内のみで通じる方言の標準語が形成される場合がある。代表的な例に、青森県における津軽弁や、北関東における首都圏方言、近畿地方における関西標準語、鹿児島県における鹿児島弁や沖縄県におけるウチナーヤマトグチがある。
国際標準語
多数の言語話者が集う国際社会で円滑なコミュニケーションを行う上で用いられる標準語である。
かつてはラテン語がその地位を担っていたが、もはや死に体と化して久しい。
かつてはエスペラント語などの習得が容易い人工的な国際標準語の導入も試みられたが、成功した事例は存在しない。その代わり2010年代以降は自動翻訳の進化が著しい。
21世紀現在では英語が、公式な場でも非公式な場でも事実上その地位を独占している。
ただし、テレビ発音など厳格な場ではいまだにイギリス英語が名目上標準であることが多いが、フランクに話せるアメリカ英語が好まれる傾向が強い。
日本を含む東アジアでは、漢文を用いた筆談がその役目を担っていたが、ベトナムと韓国が漢字を廃止したほか、日本も中世の時点で和習とよばれる独自の文体になっており、もはやその機能を有していない。中華圏同士でも簡体字と繁体字や若干の違いがある。
東アジアや東南アジア~インドにかけてはナショナリズムが強いので母国語を多用しており、さらにでは国境1つで言語がまるっきり異なる上に英語も通じない事が多い。英語が通じやすいということは植民地化の後遺症及び頭脳流出が激しいという負の側面を示していることもある。
欧州ではブレグジットの影響もあって英語の地位は若干低下しているが、特に文化産業の米国への才能流出が激しく、情報発信は英語で行われることが多いため、パーソナルでないところになると母国語をあまり使わない。
第二次世界大戦以降フランス語やドイツ語の地位低下が起きており、フランス語は一部の格式ある分野などでその名残を留めるものの、科学分野に強かったドイツ語の地位は喪失した。中南米で圧倒的に強いスペイン語・ポルトガル語の追い上げも受けている。中南米は軒並みスペイン語とポルトガル語の文化圏であり、両言語は相互に意思疎通が可能なほど似通っているため、スペイン語も汎用性が非常に高い言語である。
西欧・北欧に加え東欧も冷戦集結以降から英語化が著しいが、欧州近隣のロシア、トルコ、イランなどでは母国語を多用する。
イスラム文化圏ではアラビア語が広く通じ、アラビア語を母語としない地域でもアラビア語を理解できる人間を見つけることは、英語を理解できる人間を見つけることに比べて遥かに容易い。ただし、アラビア語は各地での訛りが非常に強いため、意思疎通に支障を来す場合が起こりやすいことには留意すべきである。アラビア語圏では地域・部族・宗派対立が非常に激しく、共通語があったとしても、必ずしもコスモポリタニズムが促進されるものではないことを示している。