概要
1952年12月25日に開局した新潟県最古の民間放送局である。また、テレビ放送はそれからちょうど6年後の1958年12月25日にスタートした。
開局当初は「ラジオ新潟」と名乗っていたが、1961年3月に現在の名称に改めている。
1964年5月から1985年11月まで、美術館を運営していた。「新潟市に美術館がないのはゆゆしき自体。これではいけない。ウチで何とかしよう」というのがその理由だった。新潟市が美術館を開設することになったためそこにあとを託す格好で閉館、所蔵品はすべて新潟市に寄贈されている。
また、1976年から2014年まで、新潟市内で(関連会社を通じてではあるが)ホテルの経営もしていた。こちらは人手に渡ったものの、2020年10月時点でも営業中。
2022年春の改変の際、スーパーアニメイズムの後枠(兼金曜の実質クロージングプログラム)として独自の深夜アニメ枠であるBSNTHEアニメを設定している。ただし2023年2月の時点ではテレビ東京のアニメしか放送していないが(ちなみに東京リベンジャーズシリーズとチェンソーマン)。
コールサイン・チャンネル
コールサイン | JODR-DTV(地上デジタル) | ||
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チャンネル | 17(新潟デジタル) | 5(新潟アナログ) | リモコンキー6 |
武勇伝
開局してまもなく遭遇した事件・事故報道において、以下の武勇伝を残している。
新潟大火
1955年10月1日深夜2時50分頃に発生した新潟大火では、当時のアナウンサーが火の手が迫る中、当時本社とスタジオを置かせてもらっていた大和百貨店新潟店の屋上に出て、火災の様子をその日の朝4時15分から20分間伝えた。
そして実況中継打ち切りを決断してから15分後、大和百貨店店内にいた社員全員が避難した直後、大和百貨店にも炎が燃え移ってしまった・・・・・・・・・・
この実況中継に関しては各方面から高く評価され、当時の新潟県知事から表彰された。さらにこの放送の模様は長岡支局で録音されており、そのテープをラジオ東京に託した事で、ラジオ東京とその系列局を通じ、多くのリスナーの耳に届くことになった。なお、件のテープは、後に横浜市に存在する放送ライブラリーという博物館に寄贈されており、現在はそこで聴くことが出来る。
彌彦神社事件
1956年1月1日に彌彦神社で発生した将棋倒し事件では、現場にたまたまここの社員が居合わせたために大慌てで取材を行い、放送開始時刻を30分繰り上げたうえに正月番組の放送を断念して(それどころではない)報道特番に切り替えた。
他局番組
テレビ東京系列
- ワンダフル競馬(土曜競馬中継、テレビ東京における「ウイニング競馬」。新潟競馬場開催時は制作を担当。2000年までは日曜日・フジテレビ系列の「スーパー競馬」もスポンサーの絡みで系列外だが同時ネットしていた)
- 忍者キャプター
- 快傑ズバット
- スパイダーマン(東映版)
- 宇宙大帝ゴッドシグマ
- 光速電神アルベガス
- 魔法のプリンセスミンキーモモ(第1作)
- 姫ちゃんのリボン
- 赤ずきんチャチャ
- ナースエンジェルりりかSOS
- こどものおもちゃ
- 新世紀エヴァンゲリオン
- 天空のエスカフローネ
- 機動戦艦ナデシコ
- カウボーイビバップ
- 発明BOYカニパン
- 超発明BOYカニパン
- 宇宙海賊ミトの大冒険
- ビックリマン2000(途中打ち切り)
- アイシールド21(途中打ち切り)
- GetRide!アムドライバー(途中打ち切り)
- ベイブレードバースト
- アイカツプラネット!
- ウルトラシリーズ(トリガー以降)
他多数
UHFアニメ
- 同級生2
- 下級生
- LEGEND OF BASARA
- ToHeart(他の地上波局とエンディング曲が違っていた)
- らき☆すた
- 艦隊これくしょん
- Free!
- くまみこ
- 進撃の巨人 Season2(Season1は第3.5話を除いて未ネット、Season3以降はNHK総合・新潟へ移行)
- ラブライブ!
- ラブライブ!サンシャイン!!
- 鬼滅の刃(後にNSTで再放送)
その他
- 新潟放送の呼出符号「JODR」は、元々1952年3月7日に予備免許を交付されるも工事落成期限に間に合わず、1952年9月22日に免許を取り消された兵庫県姫路市の姫路市営放送に割り当てられていたものである。仮に姫路市営放送が予定通りに開局していた場合、新潟放送の呼出符号は現在秋田放送(ABS)が使用している「JOTR」になっていた。
- 1976年3月6日、当時の大人気お笑い番組『8時だョ!全員集合』が新潟県民会館から生中継された際、BSNも地元ネット局として技術協力を行った。この回の『少年少女合唱団』であの『東村山音頭』が初披露された。志村けんが日本を代表するコメディアンとなったきっかけの一つがBSNだったのだ。
- 新潟の民放局の中で最も地元紙の新潟日報とのつながりが深い。
- 前述の通り4局になったあとも中央競馬中継の他仙台放送制作の東北電力一社提供番組については新潟総合テレビへの放送が移行されなかったが、2001年に両番組とも移行された。