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南井克巳の編集履歴

2023-08-09 16:18:06 バージョン

南井克巳

みないかつみ

南井克巳はJRAの元騎手・元調教師。

概要

JRAの元騎手・元調教師栗東トレーニングセンター所属。

現役時代は激しく馬を追う闘志あふれる騎乗スタイルから「剛腕」、「ファイター」などと呼ばれた。

長男の南井大志は元騎手。2012年より南井克巳厩舎で調教助手となったが親子関係は良好とは言えず、2018年より武幸四郎厩舎へ移籍。


来歴

1953年

1月17日、京都市伏見区で誕生。


1957年

愛知県刈谷市に転居。万燈祭りで行われる古式競馬に惹かれた。


1968年

中学校を卒業して豊明市にある中京競馬場厩舎に通い、工藤嘉見調教師に声を掛けられ、馬事公苑の第19期長期騎手課程を受講。同期には中野栄治田所秀孝などがいた。


1970年

長期騎手課程を卒業し、工藤嘉見厩舎の見習騎手となる。


1971年

3月6日、騎手としてデビューする。中京競馬場第4レースにタイセイキングで出走し9着だった。第6レースでカミノサブロウへの騎乗で初勝利。1年目から20勝を挙げた。


1973年

2月4日、キョウエイアタック中日新聞杯を勝ち、重賞初勝利。

ライトロングに騎乗し、4月15日に皐月賞(11着)、5月27日に東京優駿(21着)へ出走。3年目で八大競争出走を果たし、年間46勝を挙げる。


1977年

工藤厩舎から独立してフリーとなるが、翌年から成績が下降し、大舞台に恵まれず、勝利数も上積みがないことから引退も考えた。


1978年

スランプの最中、宇田明彦調教師に声をかけられ、宇田厩舎所属となった。南井は「大変ありがたいことだった」「騎手の楽しさがわかるようになった」と語っている。宇田厩舎の挙げた重賞10勝のうち8勝は南井によるものだった。


1987年

小原伊佐美調教師からタマモクロスの騎乗を依頼され、これが南井にとって転機となった。当時のタマモクロスは条件馬にすぎなかったが、秋にはオープンに昇級。12月6日、鳴尾記念で重賞初挑戦、1着となる。


1988年

タマモクロスは京都金杯(1月5日)・阪神大賞典(3月13日/同着)・天皇賞(春)(4月29日)・宝塚記念(6月12日)・天皇賞(秋)(10月30日)と重賞6連勝・GⅠ3連勝を達成。ジャパンカップ(11月27日)・有馬記念(12月25日)では2着となり、ダイナカーペンターオグリキャップペイザバトラーらと激闘を繰り広げた。南井も自己最高の年間110勝を挙げる。


1989年

9月17日、オールカマーオグリキャップの主戦騎手として騎乗し1着。以後、年末まで毎日王冠(10月8日/1着)・天皇賞(秋)(10月29日/2着)・マイルチャンピオンシップ(11月19日/1着)・ジャパンカップ(11月26日/2着)・有馬記念(12月24日/5着)でイナリワンスーパークリークホーリックスらと激闘を繰り広げた。

11月5日、バンブービギン菊花賞を勝った。


1990年

4月15日、ハクタイセイにテン乗りし、皐月賞を勝った。


1994年

1月19日、宇田師が肝臓癌のために死去。所属厩舎が解散し、南井は星川薫厩舎に移籍するが、4月よりフリーとなる。南井は調教時、宇田師の恩を忘れないよう宇田厩舎の「黄色・黒丸」の調教服を使用した。

主戦を務めるナリタブライアンが史上5頭目の牡馬クラシック三冠馬となり、南井も三冠騎手となる。ナリタブライアンで12月24日の有馬記念も勝った。

11月27日、マーベラスクラウンでジャパンカップも勝って年間GⅠ5勝を達成(2005年に武豊が更新するまで1位タイ記録)。同年のJRA賞特別賞を受賞。


1997年

11月2日、マチカネフクキタル菊花賞3勝目を挙げ最多タイ記録。


1998年

7月12日、サイレンススズカにテン乗りして宝塚記念で勝利し、サイレンススズカ唯一のGⅠ勝利となる。自身最後のGⅠ勝利ともなった。


1999年

調教師免許を取得し、騎手引退が決まる。

2月28日、最終騎乗となった白川郷ステークスを勝ち、有終の美を飾った。


2000年

栗東トレーニングセンターに厩舎を開く。調教服は宇田厩舎時代の「黄色・黒丸」とした。前年解散した工藤厩舎の管理馬を引き継ぐ。

11月25日、工藤師から引き継いだウイングアローで第1回ジャパンカップダート(現在のチャンピオンズカップ)を制した。これが南井厩舎唯一のGⅠ勝利となる。


2004年

10月30日、タマモホットプレイスワンステークスを勝利。


2006年

2月5日、タマモホットプレイでシルクロードステークスを勝利。


2013年

2月3日、タマモベストプレイきさらぎ賞を勝利。


2018年

2月4日、サトノフェイバーできさらぎ賞を勝利。


2021年

調教師としてJRA通算400勝を達成。


2023年

2月28日、定年を迎え調教師を引退。調教師としては重賞13勝。


関連タグ

JRA 騎手 調教師

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