お前のような軽巡がいるか
おまえのようなけいじゅんがいるか
様々なパターンが見られるが、軽巡という『艦これ』の中では比較的身近、かつ個性的なメンツが多いためか、ネタ絵が目立つ……ような気がする。
例えば、
まあ、この辺りはお約束で、
オーバーテクノロジーだったり、
世紀末だったり、
フフ……怖い
他方で、心を潤す衣装交換もあったりする。
…………まぁ、この方々に関しては何も言うまい。
この時代の英国の定義では「軽装甲だから軽巡」なので、紙装甲のこいつが軽巡なのは実のところ何も間違ってはいない。ただし、主砲は二門だけ。何を言ってるのかわからねーと思うが……
- ジュゼッぺ・ガリバルディ
- ポラリスSLBM搭載の地中海からソ連本土を核攻撃できる軽巡洋艦。あくまでも軽巡。何を言ってるのかわからねーと (ry
なんてことを言っていたら19春イベ「発動!友軍救援「第二次ハワイ作戦」」にてとうとう実装されてしまった。(一応第二次大戦中までの姿ではあるが、それでも他の軽巡と比べて高水準の攻撃力、耐久力、4スロ、そして重巡並の燃費の悪さを有している)
幸か不幸か、どちらも実現には至らなかった(就役はしたものの、肝心の武装が未実装、または早期に撤去)。
フューリアスは建造中に改装され空母として就役したが、空母の草創期だったこともあって試行錯誤を繰り返し、就役直後に改装された時には、艦橋の前に発艦用の飛行甲板があり、煙突の後ろに着艦用の飛行甲板がある、つまり後の空母で言えば飛行甲板の真ん中に艦橋と煙突が立っているという、ある意味で「お前のような空母がいるか」な有様であった。
しかし……
川内型次級として計画された20サンチ砲搭載のデカい軽巡洋艦。
基準排水量7,000トンを超えたため当時の日本海軍の内規により一等軽巡洋艦となり命名も河川名から山岳名に変更されたが、この時点ではあくまで軽巡洋艦。よって設計思想も装甲よりも速力を優先していた。
そして建造してしまった。
しかし米英から「お前のような軽巡洋艦がいるか」とツッコまれた結果、ロンドン条約が締結された。この時に誕生したのが重巡洋艦なのである。
軽巡洋艦の略号がCLであるのに対し重巡洋艦の略号がCHではなくCAであるのはこれ(クルーザー カテゴリーA)に由来しているともされる。
建造中に命名基準が改定され、『衣笠』と内定していた1番艦は、川内型に使われる予定が中止となり浮いてしまっていた『加古』を先に消化することとなり、衣笠は3番艦にスライド、しかも加古も衣笠も竣工が遅れ偶数艦になるはずだった相方にネームドシップを譲っている。
ちなみに一等巡洋艦で河川名を名乗ったのは『加古』のみである。
だがこのロンドン条約の結果日本はさらにやらかす。
「備砲はカテゴリーBの規定通りなんだから軽巡洋艦なんだ!」と言い張った結果がコレ。
今度は既に軽巡洋艦の枠を使い切っていたアメリカがいろいろと残念なブルックリン級軽巡洋艦を造るハメに。ちなみにイギリスの事は気にしちゃだめだ。
なので無理矢理二等巡洋艦とされ河川名がつけられている。
ついでにこれで軽巡洋艦の枠を圧迫したため老朽軽巡洋艦の更新が滞った。
(球磨型などは1940年には第一線を引いているべき性能である)
また、利根型は天龍型代艦として条約批准国に通告されていたが、軍縮条約破棄により天龍型2隻は廃艦されず現役にとどまった。
もっとも、欧米列強をして「お前のような軽巡がいるか!?」と驚愕させた点では、夕張の右に出る艦はないであろう。
詳細は夕張(軽巡洋艦)
…と思いきや
世界「排水量15000t!?お前重巡だろ!」
アメリカ「いいえ、主砲が6インチですから軽巡です(キリッ)
全長207m、基準排水量14700t、主砲15.2cm連装自動両用砲6基12門を装備した軽巡洋艦。たとえボルチモア級重巡よりわずかに全長2m、排水量1000t上回ってても軽巡なんです。
太平洋戦争中活躍したクリーブランド級軽巡とアトランタ級防空巡を兼ねた艦だったが、第2次大戦終結により、10隻の建造予定が2隻にまで減らされた不運な艦。