概要
1998年9月2日生まれ。山口県宇部市出身。本名は安井 かのん(やすい かのん)。
2歳で実父が実母と離婚したため、実母に引き取られて成長する(実父とは芸能界デビュー後に22年ぶりに連絡があり再会した。)。母子家庭で育ったため、生活が苦しく部費や家賃が払えない状態で、中学時代は妹と共に給食以外を食べられない日もざらだったといい、給食の無い夏休み中にはスーパーに安売りされていたパンの耳を大量に買い込んで飢えを凌いだ経験もある。
高校時代は児童養護施設で生活し、実母とは会わなかった。高校では柔道部に所属。高校時代は学校で3年間仲間外れにされ、トイレで弁当を食べたり休み時間は図書館で過ごしたりしていた。保健室登校の経験もある。
高校卒業後
高校卒業後、家庭の事情もあって経済的に自立しようと考え陸上自衛隊に入隊。大久保駐屯地の施設科(土砂や草むらを整備して道路を作る部隊)に配属となり、女性としては珍しいドーザ手(ブルドーザーオペレーター)として、2019年まで2年間勤務した。
自衛隊を辞めようと思ったのは、本人いわく「突然天の声が降りてきたようだった」とのことで、特に何かトラブルや嫌な思いがあったというわけではなく唐突な思いつきだったという。上官や同僚からは今後の生活を心配され、引き留められたが、退官して間も無く所属先が解体になったため「お前は運がいい」と言われたとのこと。
退官後
自衛官退官後は「一人になれる仕事がしたい」と、求人アプリで見つけた東京の清掃会社に就職し、半年ほど働いていた。このころ、ネット上で知り合った友人がジャルジャルのファンでお笑い芸人を目指しており「NSCに入りたいけど勇気が持てない、一度一緒に漫才をしてほしい」と誘われてコンビを結成。やす子本人はお笑いに興味があったわけではなかったが、ネタ作りを担当するようになる。
いくつかの事務所に履歴書を送ったところ、ソニー・ミュージックアーティスツから「事務所ライブがあるからそこで面接をしよう」と連絡が来る。しかし、相方は(SMAに行くのが)乗り気でなく、事務所ライブの数日前から連絡が取れなくなってしまい、当日ネタ見せをすることになったため急遽ネタを練り直してピン芸人としてライブに出演することとなった。この日をもってSMA HEET Project所属となる。
芸人活動を始めてすぐの頃は前職とは全く関係のないネタを多くやっていたが、ある時早稲田クローバースタジオで共演した大葉かやろうに「元自衛官なら自衛隊ネタをやったら?」と勧められ、現在まで知られる「自衛隊あるある」ネタをするようになったところ注目されるようになった。
芸人として活動している現在も即応予備自衛官任官中の身である。月に一回ほど茨城に訓練しに行っているとのこと。
代表作に「このシルエットなんでshow?」というフリップ芸がある。様々なシルエットが描かれたフリップをめくっていくものの、全て様々なポーズをとった自衛官というもの。ほかにもあらゆる頭文字をら自衛隊にまつわる内容を答える「自衛隊あいうえお」などのネタがある。
ちなみに、ネタ中に着用している迷彩服は自前で、コスプレ用などではなく訓練先の駐屯地で買った本物である。
人物
特技は射撃、水泳、柔道(有段者)など。漫画を描くのも趣味で、一時期漫画家を目指していた。音楽的な才能があり、自身のYouTubeチャンネルやTwitterなどでギターの弾き語りや自作のラップ(トラックも自作)を披露している。
複雑な家庭環境で育ち、中高生の頃は児童養護施設で暮らしていたことを明かしている。自衛隊に入ったのも(高校卒業後すぐ自立しなければならず)「衣食住が確実に保証されているから」というところが大きいという。
口癖は相槌などで発する「はい〜」。もともと口癖という自覚がなく、自身の出演した番組のテロップで出ているのを見て初めて気がついたという。
黒目がちのベビーフェイスや、向かって左側の唇の上にほくろがあり、またネタ中七三分けにしていることもあってかまいたちの山内健司に似ていると言われる(※山内とはほくろの位置が逆)。顔は似ているがものまねは出来なかった。
また、アメトーークのSMA芸人回にも出演し、共演した土田晃之からはビートたけしや西田敏行のものまねなどでお馴染みの松村邦洋に似ていると言われたが、やす子は全く知らなかった。
千原ジュニアの座王で最年少(当時24歳)で座王になった。
かなりのビビりであり、ドッキリGPなどでターゲットになることもある。特にホラー系ドッキリでは度々悲鳴を上げ、ネタバラシの際にスタッフにキレる、というのがお決まり。
東野幸治の顔をしたロボット犬に追いかけられて追い詰められた際には蹴り飛ばして東野ロボ犬を壊した。元自衛隊が故に反射的に足が動いてしまったのだろう。
なお本人によると「(バンジージャンプや)ドッキリはNGとマネージャーにちゃんと言ってるのにあのクソマネージャー入れてくるんですよ!!」とのこと(「呼び出し先生タナカ」での発言)。
実際ドッキリGP内でも他番組でもドッキリGPは「クソ番組」「この世で一番嫌いな番組」、特にドッキリGPの中川Dのことも「世界で一番見たくない顔」と名指しで言っているほどである(なお「タナカ」のスペシャルではドッキリGP代表にされたことがある)。
しかし、このことをネットニュースで大きく取り上げられ、番組側が後日謝罪(スタッフ全員が土下座)。その際には「クソ番組なのは否めないけど言うほど嫌いではない」「中川さんもちょっと嫌いなだけ」と微妙なフォローをしつつ、「これからも出してくださいよ」とネットニュースで勝手に大ごとにされたことに対して苦言を呈しつつこれからの出演に関してもOKを出した。
2024年8月31日~9月1日、24時間テレビのチャリティランナーに選出される。過去に語った児童養護施設の事を思い今回本人の発案により、『24時間テレビ』全体の募金と切り分け、その全額が全国600カ所以上の児童養護施設のために役立てられる“目的別募金”となった。
しかし、開始直前台風10号が発生、最悪マラソン中止と予想されたが、安全を配慮して8月31日午後7時50分過ぎにマラソンがスタート。市街地の代わりに日産スタジアムのトラックをトラックを75周(約30km)走り、休憩後明けた9月1日朝にスタジアムを出てメーン会場の東京・両国国技館へ向けて走り出す形に変更となり台風10号とそれから変わった熱帯低気圧による大雨も降る中、左足首に痛みが出るなどの悪条件を超え、同日夜、両国国技館にゴールインし、80キロ超を完走した。
ちなみに、一か月前の27時間テレビにも学校かくれんぼに登場した。